|
登城日 1回目 2012年 2月 5日(日)曇 2回目 2012年 4月 7日(土)晴 難易度 ☆ 場所 名古屋市南区戸部町3丁目 星崎城から塩付街道を北上すると、 丹八山公園があります。 春は桜が咲き誇る。 丹八山は、犬山・小牧山と並んで尾張の三名山とか。 この山がデスカ? 昔は迫間鳥居山と呼ばれたようだ。 丹八山へ登る。 坂の名の「お銀」は笠寺城主戸部新左衛門の娘の名だそうです。 頂上の様子。 秋葉神社(加具土社)。 ここは七所神社があった所だそうです。 (今は本城中学校の東、寺部城の故地付近に遷座している。) その周辺に石碑が林立。 変な山。 ここは浦島太郎の生誕地とか。 本当デスカ? 隣りには平将門調伏塚と書いてある。 近くには平将門の首塚がある。 ひえ〰 星崎城の長命井は日本武尊と関係があるらしい。 ここは天武天皇の壬申の乱出兵地でもある。 時代は下って、織田信長が何処かから逃れて来たらしい。 豊臣秀吉も何か関係があるらしい。 松平竹千代(後の徳川家康)の人質交換が何やらとか。 この他にもいっぱいあって全部見きれない。 これら全部が本当に関係する山なら、ここは尾張三名山以上だ。 そして中央に笠寺城主戸部新左衛門政直の碑。 これだけだったら、戸部城へ寄らずに帰っただろう。 近づいてみて、 なにぃ?碑によると戸部新左衛門政直の祖先は赤松円心則村で、嫡男範資→直頼→赤松範光→直嶋資頼→直嶋直正→直嶋義直→笠寺貞茂→笠寺直清→戸部政直だそうです。 本当だろうか? この後図書館へ行ってみて戸部氏のことを調べて見たが、どの本にも戸部氏は多々良氏で赤松氏一族との表記は無かった。 この碑を建てたのは石川丹八氏だそうです。 図書館にあった著書にも書かれていなかった。 直に聞いてみた〰い! 聞きづらいので、丹八山を後にして笠寺城(戸部城のことらしい)へ行ってみる。 塩付街道をさらに北上。 環状線を渡った所、南区役所の北側一帯は柵下町。 城柵に由来か。 少し西へ行き、JR笠寺駅付近の立脇町は、後に丹下砦を守った水野帯刀の帯刀曲輪に由来するとか。 戻って塩付街道をさらに北上すると松城町。 戸部城の別名、松本城に由来か。 さらに北に行くと笠寺病院がある。 この辺りは松池町。 松本池があった。 松本池の東側の高台は姥子山。 名鉄本笠寺駅の西側一帯です。 病院の北には城下町。 この辺りに戸部城があったらしい。 地籍図。 左が戸部城、右が戸部一色城。 (転載不可) 江戸時代の笠寺村図にも載っている。 戸部城跡は昭和4年の区画整理で消滅。 城址から東へ約300m行った所に碑が建っています。 城址碑。 漢文で書いてあって読めないが、「赤松」という文字は無かった。 前には句碑。 子孫によって建てられた墓地移転記念碑。 戸部新左衛門政直の霊碑。 戸部新左衛門政直は初め織田氏に従っていたが、織田信秀の死後は今川義元に寝返り義元の妹婿になったとか。 その後、織田方の寺部城主山口重俊に攻められるが、これを撃退し敗死させた。 政直の寝返りに怒った織田信長が、右筆に政直の筆跡を真似て練習させ、信長に内通する書簡を偽造し、それを商人に化けさせた森可成に駿府城下へ持ち込ませた。 書簡を見て裏切りを信じた義元の命により、政直は三河国吉田で処刑された。 (政直の五輪塔が豊橋市にある。) この後、戸部城は廃城になったと云う。 この政直は大変暴虐で、目の前を横切る人を無差別に斬り捨てたと云う。 しかし、ある日、政直の面前を一匹の蛙がさっと横切ったが、その蛙の飛ぶ速さに心を奪われ、蛙を斬ることが出来なかった。 そこから、東海道の道中、戸部城下に差し掛かると誰ともなく「山崎越えたらとべ、とべ」洒落るようになったとか。 また「戸部の蛙」として郷土玩具にもなって売られている。 戸部城を後にする。 結局、戸部新左衛門政直と赤松氏の関係は解からなかった。 (おまけ) 塩付街道へ戻り北へ進むと、突き当りに富部神社がある。
慶長8年(1603)津島神社を勧請。 牛頭天王を祀る。 本殿は国の重要文化財。 いつかゆっくり再訪したい。 富部神社から塩付街道を見る。 塩付街道はここで東へ直角に曲がり、東海道と交差。 つまり、戸部城は東海道と至近距離にあった。 もし、今川義元が策略に引っ掛からなかったら織田信長は容易にここを通過出来ないわけで、政直の死後1年後に起ったといわれる桶狭間の戦いは大きく変わったことだろう。 富部神社の裏にある長楽寺。 元は寛蔵寺といい、荒廃したこの寺を永正5年(1508)に今川氏が再建し、寺号を「長楽寺」と改めました。 一説には、戸部新左衛門政直が再建したとも。 この長楽寺境内周辺には深い空堀が廻っています。 この地には水野帯刀の居館があったそうです。 最後に、南北朝時代の加賀の冨樫氏と赤松政則の抗争を描いた「北辰の旗」。 このようなマイナーな題材を取り上げて下さって大変感謝です。 是非読んでいただきたい。 作者戸部新十郎氏は戸部新左衛門政直の子孫で、新十郎は政直の息子の名から命名されたそうです。 今度は戸部新左衛門を書いて下さらないかなぁ〜 もちろん赤松円心の子孫ということで。 |
城
[ リスト ]




始めてコメントします。
教えていただきたい事が少しあります。
政直が三河吉田で処刑された事と、岩塚の七所神社と吉田氏との繋がりは有るのでしょうか?
戸部の名前は、ト部から来てはいないでしょうか?
ト部からきているとすると、赤松氏と姫路城が関わり、信州の松川に植えられた赤松林がつながるのですか、それについてもご存知ないでしょうか?
根拠の無い質問ですが、もし知っていたら教えて下さい。
2015/3/29(日) 午後 4:43 [ ut6***** ]
解らないのです。
石川丹八先生に聞いて見たかったのですが勇気がありませんでした。
2015/3/29(日) 午後 9:34