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場所 石川県七尾市国分町リ部9
最寄駅である七尾駅へ着く前に車窓から見える能登国分寺跡。
「七尾とうはくん号」に乗ってJR七尾駅到着!
車内も「とうはくん」がラッピング。
(年齢470歳、好きな食べ物は寿司、特技は筆談だそうです  )
七尾は安土桃山時代の絵師長谷川等伯の生誕地なので。
平成24年は長谷川等伯没後400年で少し盛り上がっていました。
昨日、第148回直木賞の発表があり、安部龍太郎氏の「等伯」が受賞したのでまた盛り上がっているかな?
(日経新聞朝刊連載小説だったのでちゃんと読んでおけばよかった  )
駅前から市内循環バス「まりん号」に乗って、能登国分寺公園口バス停下車。
バス停から国道159号線を横断して少し西へ行った所に能登国分寺公園があります。
公園の全体図。
上空から見た能登国分寺跡。
本来は長方形の境内。
しかし、公園は両端が少し欠けてしまって台形になっている。
まずは、能登国分寺展示館へ。
開館時間は午前9時〜午後5時で、月曜日・祝日の翌日・ 冬季(12月11日から3月10日) は休館ですので要注意!
模型やパネル展示があり、能登国分寺跡について詳しく学べます。
それでは、能登国分寺跡へ向かいましょう。
公園入り口にある鐘楼。
国分寺の正式名称「金光明四天王護国之寺」と書いてありました。
南門前に南方倉庫跡。
南門に遠い方。
南門に近い方。
説明板。
これら倉庫は国分寺のものでは無かったようだが、附属して国指定史跡となっている。
能登国分寺跡の碑。
ここから能登国分寺跡。
伽藍配置図。
模型で。
南門と
塀が復原されている。
斜めから見る。
説明板。
全国の国分寺跡で史跡上に建物を復原したのはここが初めてだったという。
塀の前は堀があった。
境内へ入る。
正面に中門跡。
中門を模型で。
説明板。
回廊跡。
中門から講堂にかけて回廊が廻っていた。
説明板。
中門跡と回廊跡を斜めから。
回廊跡から復原された南門と塀を見る。
もう一度中門跡。
中門跡から講堂跡を見る。
右側に塔があった。
塔の基壇。
塔跡の礎石。
中心に塔心礎石「えぼ石」。
塔を模型で。
説明板。
左側に金堂があった。
金堂跡を正面から。
金堂を模型で。
説明板。
金堂跡から講堂跡を見る。
講堂跡。
講堂を模型で。
説明板。
講堂跡から回廊跡を見る。
中門からぐるーっと巡っていた。
講堂跡から北門方面を見る。
両脇に僧坊が建ち並んでいた。
北門へ向かう。
途中、講堂跡を振り返る。
北門跡。
南門からぐるーっと塀と堀が巡っていた。
説明板。
北門から出る。
模型でおさらい。
能登国分寺に隣接して能登国府があったとも。
能登国府跡へ向かいました。
(おまけ)
能登国分寺の薬師堂が北方の山裾に移築されているらしい。
こんなお堂だそうです。
今日はあいにくの天気で残念。
晴れてたら行ったのになぁ〜
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8世紀に能登国が成立すると、七尾に国衙(こくが=国の役所)がおかれ、国府としての街作りがはじまります。
国府の横には能登国総社がたてられました。能登国の国衙は未発見ですが、地名から古府町周辺に造られたと想定されています。
国衙の周りには様々な役所や蔵など、沢山の建物が建てられていたと思われます。
実際に、徳田町から古府町一帯にかけて、多くの古代遺跡が確認されており、このどこかに国衙と群衙が造られていたと推測されています。
全国の国衙の発掘調査から、中心の建物は瓦葺きであった可能性がある。古府遺跡や総社からは瓦が出土しています。場所は未だに確定できていないので、今後の発掘調査が待たれる。
また海岸では、国の港(国津)として香島津の整備されたことがわかる。というのは『延喜式』という書物の主税寮諸国運送漕雑物功賃条に、香島津から越前敦賀津までの雑物を運ぶ場合の船賃の記載があるので、国が管理していた国津とわかるのである。
2018/7/7(土) 午後 2:16 [ 歴史&環境&公徳心ツアー ]