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場所 三重県志摩市阿児町国府3476 最寄のバス停は、三重交通安乗行き国府白浜バス停。 志摩国府の北に位置する。 真っ直ぐ北へ登って行くと参道入口。 鬱蒼と木が繁る参道。 参道脇の仏様。 現志摩国分寺の山門。 この辺りに志摩国分寺があったと云う。 山門前に「史蹟 志摩国分寺趾」の碑が建つ。 説明板。 【志摩国分寺の由来】 45代聖武天皇の勅願によって、奈良時代天平13年(741)に一国一寺、国ごとに僧寺(金光明四天王護国之寺)・尼寺(法華滅罪之寺)の二寺が国家の安泰、人民の幸せを願って建立されたのが国分寺である。 志摩国分寺も建立された当時は厳然とした七堂伽藍もあり、八丁四方に及ぶ広大な面積を有し田の寺領も2町歩あったといわれている。 その後、応仁の乱(1468)の兵火で初期の建造物・宝物は焼失した。 現在の寺は天保7年(1836)に7年の歳月をかけて落慶されたものであり、彫刻と絵画の美徳に優れその技には感動させられる。 ご本尊は薬師如来であり、総高約2m、桧材の寄木作り、室町末期(1527)に活躍した仏師(定栄)の作であり、秘仏として祀られているが、旧暦4月の閏年に(約20年に一回)開帳される。 ◎昭和11年(1936)史跡国分寺跡仝37年(1962)薬師如来座像…三重県文化財指定 山門から現国分寺の境内を見る。 参道左側に手水鉢。 奥の建物の中に瓦。 参道右側にお地蔵様。 江戸時代に建てられた本堂。 この下に志摩国分寺の礎石が眠っているとか。 境内を見渡す。 発掘調査がされていないので、志摩国分寺の伽藍配置は未解明。 寺内正毅が書いた碑。 金比羅大権現。 吒枳尼尊天。 瀧上大明神と夜なき地蔵。 池。 池の脇に、 お地蔵様。 最後に寺務所へ行き、 御朱印を貰う。 本堂から参道を見る。 志摩国分寺を後にしました。 付近には、大門などの国分寺跡を偲ばせる小字が残っているという。 また、東南山地の大堂山付近に志摩国分尼寺があったとも。 結局よく解らず、バスに乗って帰りました。 毎年5月8日には「花まつり」が盛大に行われるそうです。 |
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