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場所 岡山県岡山市中区国府市場
『和名抄』および『拾芥抄』によると備前国府は御野郡に設けられていたというが、どこにあったか特定されていない。
しかし、御野郡から旭川を挟んで対岸の現岡山市中区には国府市場という地名があり、付近では関連遺跡と思われるものが発見されているので、こちらに行ってみました。
国府市場へは、JR岡山駅から宇野バス四御神行きのバスに約20分乗って市場西バス停下車。
バス停北の国府市場交差点を西へ左折する。
この道は旧山陽道。
旧山陽道沿いに備前国庁跡と云われる場所があります。
備前国庁跡には、国長宮が鎮座している。
境内にある説明板。
【備前国庁跡】
西暦8世紀に始まる我が国の律令制度では、地方行政の単位は国で、各国の政務を行うために近畿の中央政府から「国司」が派遣された。
国司が政務を執る官庁を「国庁」、それを中心に造られた都市を「国府」と呼ぶ。
備前国の国府は、岡山市中区国府市場を中心とした地域にあったとみられ、この国長宮周辺から高島公民館、高島小学校辺りにかけては古代・中世の建物跡や溝、土器などが随所から出土している。
道路の上では、国庁の位置や構造は未だ確定できていないが、国庁宮の周辺には「北国長」・「国長」・「南国長」などの国庁に通じる地名が残り、国庁があった場所と古くから想定されてきた。
また国長宮の参道前を東西に貫く里道は、古代から中世にかけては近畿と九州を結ぶ大動脈であった山陽道を踏襲したものである。
国府市場の周辺には賞田廃寺・幡多廃寺や総社宮もみられ、一帯は古代において備前の国の政治の中心地であった。
平成22年3月
岡山市教育委員会
図を拡大。
境内中央の小さな社殿が国長宮。
手水鉢。
社殿裏の小さな祠が本殿かな。
説明板以外にここが備前国庁跡だと感じられるものはありませんでした。
備前国庁跡を後にして北西へ向かう。
龍ノ口山麓の祇園に備前国総社が鎮座。
県道219号線からの参道。
境内入口。
鳥居。
鳥居に「總社」の扁額。
説明板。
【備前国総社】
古代律令制下、平安時代末ごろまでには、ほとんどの国に総社が設けられた。
総社とは、国司( 国の長官)が逐一出向いて巡拝すべき各神社が、 国内各所に分散して不便であるため、各祭神を国府の近接の一か所に合祀することで、参拝を略式化するために設けられたもので、国府直属の祭祀施設である。
備前国の総社は、備前国府(推定地)の北西丘陵に位置し、国司所祭の古社128の祭神を集めたものと伝えられる。
成立の時期は定かでないが、 およそ平安時代と推定される。
律令制崩壊後は、氏神として地域の信仰を集め、中世の神仏習合期、 岡山藩による寛文の神社整理(1666〜1667)を経て、現在に至っている。
現在の境内地付近には、惣社の内一、同二、馬場といった字名が残っており、かっては一町四方 におよぶ広大な社地が広がっていたと考えられる。
現在の社殿は江戸中期のもので、幣殿の天井裏から室町時代前期の僧形社僧(現安養寺)が三体発見された。
参道。
神門。
神門から境内を見る。
社殿前のプレハブは何?
本殿。
今上天皇聖蹟碑前にも「總社」の扁額。
読めない…
備前国総社を後にしました。
総社があるので、多分この辺りに備前国府があったのだろう。
(おまけ)
備前国総社から山道を東へ。
10分もかからずに脇田山安養寺常行院に到着!
山門。
居館のような境内。
本堂。
境内に備前総社宮幣殿の天井裏から発見された室町時代前期の僧形社僧があるという。
裏山は龍ノ口山。
中世には備前松田氏の家臣穢所元常の居城である龍ノ口城があったが、宇喜多直家の謀略により落城。
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