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登城日 2013年 2月11日(月)曇
難易度 ☆
場所 大阪府東大阪市五条町
東大阪市立郷土博物館で頂いた枚岡神社までの道案内。
途中、水走配水場を西に下った所に水走氏館があります。
水走配水場から下った辺り。
段々になっています。
水田から、建物の柱穴や地泉跡、溝状遺構跡などが見つかったというが、現在は宅地化されています。
一画に墓搭と説明板が建っています。
墓搭。
説明板。
【史跡 水走氏館跡・墓搭】
水走氏は、古くより枚岡神社の祀官をつとめるとともに、現在の東大阪・大東・八尾にかけて土地の領有や中世の支配権をもった中世領主です。
水走文書によれば、屋敷は五条にあり、寝殿・廊・惣門・中門・土屋・厩屋・倉等を有していたことが記されています。
昭和48年、水走氏館跡の一部と伝える墓塔北側の水田において発掘調査が実施され、建物の柱穴や池泉跡、溝状遺構などがみつかりました。
墓塔は、文化8年(1811)9月に水走飛騨守忠良によって建てられた高さ3.18mの五輪石塔で、墓地は市の史跡に指定されています。
方形3段の基礎と、請花・反花座をふまえて立つ五輪前面に「キャ」「カ」「ラ」「バ」「ァ」の梵字、基礎石西面に水走忠道以下6名と法名3人の合計8名の名が刻まれています。
北面には、1行8字、19行に及ぶ銘文があり、磨滅のため全文を判読することはできませんが、先世の墓が荒廃していたため、この石搭を後世のため造立したことが記されています。
造立者の水走飛騨守は忠良と号し、宝暦3年(1753)河内国茨田郡の生まれで、享和2年(1802)水走忠堅の養子となり飛騨守に任じられた人物で、医学を学び、詩文や俳諧にもつうじた近世河内が生んだ学者の一人です。
建長4年(1252)の水走文書に記された屋敷についての記述。
他に何かないかと歩いてみる。
墓碑の南東にある天野山専宗寺。
楠木正成の親戚が住僧をつとめた寺と云う。
立派な山門。
境内に 楠木正儀物見の松の碑があるとか。
中に浄土真宗にありがちな太鼓楼。
城っぽい…
と、いうことで水走氏館跡を後にしました。
(おまけ)
水走氏館跡から南下すると客坊町へ辿りつく。
町内東側の山腹に客坊寺があったと云う。
遺跡が見つかったという畑付近。
大阪平野を見下ろす。
客坊寺跡を後にする。
近くの市杵嶋姫神社。
神様は枚岡神社の末社天神地祇社に合祀されたはずですが、社殿が残っています。
この市杵嶋姫神社の北側山手に客坊城があったと云う。
室町時代に河内守護畠山氏の内紛で落城したとか。
さらに南へ行くと旧春日神社本殿があります。
本殿。
この神社も枚岡神社の末社天神地祇社に合祀されている。
説明板。
この辺りには古墳群もあります。
説明板。
客坊の山の上から大阪平野を見下ろす。
かつては新開池が見下ろせたことでしょう。
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