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所在地 静岡市清水区興津清見寺町418-1 山号 巨鼇山 宗派 臨済宗妙心寺派 本尊 釈迦如来 創建 (伝)白雉年間(650-654) 開基 不詳(中興、 関聖上人) 最寄駅はJR興津駅。 駅前には東海道興津宿があった。 途中においしそうなたい焼き屋さんがありました。 帰りに寄ろうと思ったら閉まっていたので、開いている時に立ち寄るべし! 興津宿の西端に清見寺があります。 古代ここに清見関があった。 清見寺の創立は、その関舎を守るため近くに小堂宇を建て仏像を安置したのが始まりと云う。 「清見が関は、片つ方は海なるに、関屋どもあまたありて、海まで釘貫(くぎぬき)したり。 けぶり合ふにやあらむ、清見が関の浪(なみ)も高くなりぬべし。 おもしろきこと限りなし。」 (更級日記より) 手前の石は、興津代官領と清見寺領の境などに建つ牓示杭の礎石。 表参道を見る。 脇参道から清見寺へ進む。 境内を横切る東海道本線を渡る。 明治時代に興津駅誘致のため、寺領の一部を鉄道用地として取られてしまった。 踏切を渡って登って行く。 裏門。 昇って書いてあるのかな? 英語の由緒書。 裏門から入ると、目の前に鐘楼。 受付へ。 拝観順路。 受付で拝観料300円を払う。 煤払いかな? 中国の老子を描いた絵らしい。 大方丈へ。 大方丈の様子。 朝鮮通信使の詩文などが掲げられています。 方丈から潮音閣と鐘楼を見る。 手前の梅は臥龍梅。 内陣に聖観世音菩薩を安置する。 大方丈奥の大玄関。 血天井。 正治2年(1200)正月、梶原景時一族が鎌倉を出奔し西国へ赴く途中、清見関にて一戦を交える。 その時の血痕が残る。 大方丈裏へ。 大方丈の西側に仏殿。 大方丈裏に庭園。 昔、この裏山に松の巨木があり、付近漁民の目標となっていた。 又、東海道を行き交う旅人の目標でもあり、足利尊氏が木の下の岩に腰掛けて休んだことから岩腰松と呼ばれていたが、昭和18年に軍用材として伐採されてしまったと書いてありました。 徳川家康手習いの間。 今川氏人質時代に住職太原雪斎に師事し、当寺で勉強していた。 国の名勝に指定されている庭園。 庭園の配置図。 奥の書院へ。 書院。 奥に玉座の間。 中庭。 玄関へ戻る。 潮音閣へ。 潮音閣の様子。 潮音閣からの眺め。 裏門を見下ろす。 大方丈を見下ろす。 玄関から出る。 鐘楼。 大方丈前に徳川家康手植えと云う臥龍梅。 龍臥して法の教えを聞くほどに梅花開く身となりにけり(与謝野晶子) 梅の花。 鐘楼と大方丈。 瓦の道。 大野伴睦句碑。 秋晴や三保の松原一文字 高山樗牛「清見寺鐘声」碑文。 修理中の山門。 由緒書。 清水次郎長が建立。 山門から仏殿を見る。 山門西側の建物は宝物殿かな? 五重石塔。 手水鉢。 梅の花。 血天井のある大玄関。 南天かな? 海会塔。 仏殿。 本尊釈迦如来を安置。 仏殿への渡り廊下。 この辺りでリスっぽいものを見かけたのですが… 気のせいかな? 仏殿の西側を奥へ進む。 子安地蔵の脇に聖観世音菩薩銅像。 その奥に五百羅漢石像。 様々な顔をした石像。 歯が痛いのかな? 蛇にからまれてる! 近くでは呑気に書物を読んでます。 こんな顔の人見た事あるような… 後生車と島崎藤村の「桜の実の熟する時」の小説の一節。 持舟城主向井正重とその子向井政綱の墓。 登って行く。 足利尊氏が建てた利生塔跡? さらに登って行くと、琉球王弟の尚宏・具志頭王子朝盛の墓がある。 仏殿を見下ろす。 戻る。 山門から出る。 山門脇に田中清左衛門尉長吉逆修菩提塔。 田中長吉は関ヶ原合戦後に石田三成を捕らえた人とか。 境内を横切る東海道本線。 境内を見渡す。 総門から出る。 最後に御朱印。 車窓からだと近すぎて良く見えなかった清見寺でした。 |
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