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場所 栃木県下野市国分寺 下野国分尼寺跡から西へ行くとすぐにあります。 史跡碑。 説明板。 いつも思うんだけど、身長何cmの人にとって見やすいのだろう? 【下野国分寺跡】 寺院の規模と時期別変遷 下野国分寺跡は、奈良時代の天平13年(741)、聖武天皇の詔によって全国60数か所に建てられた国立の寺院のひとつです。 伽藍(寺の建物)配置は、全国の総国分寺である奈良の東大寺と同じ形式で南北一直線に南から、南大門・中門・金堂・講堂・僧房が並び、中門と金堂は回廊によってつながっています。 塔は回廊の外側東方におかれ、基壇の規模から七重塔であったと推定されています。 また、金堂・講堂を挟んで東西には経蔵・鐘楼がおかれています。 これまでの発掘調査で、寺院の敷地が東西413m、南北457mの広さであることや金堂、塔などの建物の大きさが判明しました。 また、溝や塀などのつくりかえから、伽藍地とその外側を区画する寺院地の範囲や変遷が明らかになり、1〜4期に時期区分されています。 1期(8世紀中葉)は塔・金堂などの創建期、2期(8世紀後半〜9世紀前半)は主要堂塔が完成し、それらの建物を掘立柱塀で囲む時期、3期(9世紀後半)は伽藍地を縮小して掘立柱塀を築地塀につくりかえ、寺院全体を大改修した時期、4期(10世紀以降)は主要堂塔の補修や溝の掘り直しを行わなくなる衰退期と考えられています。 下野国分寺の終焉は明確になっていませんが、遺構・遺物からみると11世紀ないし12世紀まで寺院として機能していたと考えられます。 伽藍地図を拡大。 南門跡へ向かいます。 南門跡。 説明板。 南大門跡。 説明板。 右側。 左側。 中門跡へ。 途中、右側に七重塔跡。 行ってみる。 古い史跡碑。 七重塔の基壇。 塔跡の碑。 説明板を拡大。 この上に七重塔が聳えていた。 現在地はこちら。 回廊南東隅。 中門跡。 中門跡の碑。 説明板を拡大。 西を見る。 金堂跡を見る。 金堂跡へ向かう。 金堂跡の碑。 説明板を拡大。 基壇上部。 基壇から回廊西側を見る。 回廊跡の碑。 説明板を拡大。 金堂跡の北西に鐘楼跡。 鐘楼跡の碑。 説明板を拡大。 金堂跡の北東に経蔵跡。 経蔵跡の碑。 説明板を拡大。 金堂跡の北側に講堂跡。 講堂跡の碑。 説明板を拡大。 講堂の北にあった僧坊跡へ。 僧坊跡。 僧坊跡の碑。 説明板を拡大。 僧坊跡から北門跡の方を見る。 戻る。 講堂跡へ。 講堂跡をもう一度。 金堂跡へ。 中門跡へ。 南大門跡へ。 南大門跡の碑。 南門跡へ。 南門跡から西を見る。 寺院地溝の碑。 下野国分寺跡の南西に甲塚古墳。 説明板。 寺院地溝に沿って東へ。 寺院地溝東南隅。 説明板。 下野国分尼寺跡の北に位置する下野国分寺。 境内の様子。 本堂会館。 十三重塔。 薬師堂。 釈迦堂。 五輪塔。 一説に聖武天皇・光明皇后・行基を祀ったものと云う。 誰もいず、御朱印は貰えませんでした 透けて見える想像図が随所にあるのはいいですね〰 きれいに整備された下野国分寺跡でした。 下野国府へ向かいます。 |
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