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登城日 1回目 1990年頃
2回目 2009年 8月30日(日)晴
難易度 ☆
場所 兵庫県姫路市御国野町御着1142-8
御着城は、JR山陽本線御着駅下車、東へ約10分程歩いたところにあります。
駅前に地図と、箱の中に「<風土記の里>播磨御着」というパンフレットがあります。
是非ともチェックしてください。
天川。
御着城の外堀の機能を果たしていた。
このあたりは表札を見ると、天川さんが多いようだ。
旧山陽道の天川橋。
昭和43年9月までは石橋だった。
現在は御着城跡公園に復元保存されている。
橋は相当古かった。
説明板。
旧山陽道と御着宿本陣跡。
ここはすでに御着城域。
説明板。
大歳神社。
御着村の氏宮。
昔はこの鳥居が正門だったらしい。
御着城跡公園。
御着城を国道2号線が分断する。
写真を撮っている場所には、本丸跡の石碑と小寺氏三代の城主と当時の戦死者を祀る小寺大明神があったそうだが、何と見落としてしまった!
(2回とも)
御着城址碑。
説明板。
【御着城跡】
御着城は茶臼山城・天川城とも呼ばれ、播磨守護赤松氏の家臣小寺氏の居城。
永正16年(1519)小寺政隆が築城、則職・政職と継承され天正6年(1578)か7年に羽柴秀吉の播磨侵攻で滅亡したとされるが、嘉吉年間(1441〜44)にはすでに構居が設けられていたとされ、明応年間(1492〜1501)には赤松氏の播磨支配の拠点として守護所の機能をもつ城郭として機能していた。
昭和52〜54年の発掘調査で、御着城が14世紀後半から16世紀まで存続し、16世紀半ばに大・中型の堀や土塁が築かれ本格的な縄張りが行われていた事が判明。
中世の人びとの生活に深くかかわる土器・陶磁器・木製品・石製品等の遺物も検出された。
宝暦5年(1755)の「播州飾東郡府東御野庄御着茶臼山城地絵図」には、城の中核に本丸と二の丸、西と南は天川を利用した二重の堀、北と東は四重の堀、外郭部に家中屋敷や町家の記載があり、惣構えの城が描かれている。
現在、御着城跡の中央を東西に国道2号線が走り、本丸跡に市役所東出張所・御着公園・御国野公民館がある。
平成13年3月
姫路市教育委員会
二の丸にあたる御着城跡公園にある城郭風の公民館。
黒田官兵衛顕彰碑。
説明板。
御着城跡公園内には黒田官兵衛の祖父である黒田重隆夫妻の墓がある。
説明板。
御着城跡公園の東側はグランドになっています。
その東側には土塁が残っているというが、草茫々で良く解らず。
外側から見ても解らず。
手前は堀跡という。
やっぱり解らない。
堀跡を北から見る。
御着城跡公園の北側。
このあたりは堀跡が何となく解るような…
堀跡は西に続き、
一部宅地分譲もされ、
天川に合流。
航空写真を見ると、畑の輪郭から外堀が解るような気がします。
でも、小寺氏の没落とともに良く解らなくなってしまった。
平城だからしょうがないです。
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1990年にはすでにお城巡りをされていたんですね(^^;
ちなみに今日の訪問が1900HITのキリ番でした♪
お城風の公民館がなかなかいいですね。ALLポチ★
2009/9/18(金) 午前 10:22
権中納言殿
20年前は何が何だか解らず。とりあえず行ってみた感じでした。
今回も同じ過ち。
歳をとっても進歩ないなぁ〜
2009/9/18(金) 午後 7:03