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登城日 2009年 9月22日(火)曇 難易度 ☆☆☆ 場所 福島県二本松市上長折字古館 小浜城の北東に四本松城がある。 最初は宮森城へ行くつもりが、間違えて案内板の矢印に誘われて行ってしまった。 詳しい地図で見る 【四本松城の概要】 後三年の役で源義家の将として功のあった伴助兼が東安達三三郷を領して治暦元年(1065)に生国の摂津住吉四所明神と松苗四本を屋形に勧請したのが四本松城(東和町太田本城山)の起こりとし、次いで文治五年(1189)に源頼朝の奥州藤原征伐に際し、信夫の戦いで伴武知の討死の跡を受けて田原秀行(信夫次郎秀行)が城主となり、二代秀友(成清)の時に、四本松城に移ったと伝えられている。 その後。石塔義房・頼房父子が貞和二年(正平元年、1346)まで在城したという。 次いで、石橋棟義が四本松城を復興したという。 この石橋氏が十五世紀に登場する塩松氏の始祖である。 石橋氏は五代義衡(家博)の文明三年(1471)に本拠を上太田の住吉城に移したが、八代義久の時、四本松城に復帰している。 しかし、この義久は天正八年(1580)に家臣の大内定綱に滅ぼされた。 これら歴代城主のうち、伴・田原・石塔の各氏については確証に乏しい。 十四世紀後半の吉良貞家・満家については四本松城に常駐しないにしても、在城したことがあった可能性はある。 塩松氏の始祖石橋棟義から満博−祐義−房義まで、応永七年(1400)−文明三年の間は確実に在城したし、最後の城主八代義久の代に、この城は終焉を迎える。 (日本城郭大系より抜粋)細い道をくねくねと進みどこまで行くのかと、段々心細くなってくる。 城の入口に説明板がある。 つづら折りを進んで行くと、やがて本丸が見えてくる。 もう少しだ。 竹林は武の背丈が高いので暗くなる。 薄気味悪かった。 振り返る。 ようやく視界が開けました。 またまた振り返る。 本丸。 本丸には帯曲輪がある。 帯曲輪を本丸から見る。 本丸の奥には祠と岩があった。 岩の上に城址碑。 石垣の石かな? 祠と岩を裏から。 本丸南側も一段低くなっている。 この角度から見たら、四本松城址の文字が見えましたね。 四本松城を後にする。 その他、竹林の中に曲輪があったのでしょうが、薄気味悪かったので、さっさと帰ってしまった。 付近の様子も良く解らず、何でこんな所が東安達郡を治めた石橋氏の本拠地と成りえたのか、さっぱり理解出来なかった。 |

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竹林の薄気味悪さ、なんか分かる気がします。
ぱっと見でも色んな所に遺構が残ってるのが分かりますね!
手入れも行き届いてる様子です。
2009/10/18(日) 午後 11:19 [ - ]
ローリーさん
こんばんは
本丸はそうなのですが、他は竹林になっている。
野犬なんかに襲われて悲鳴を上げても誰も助けに来てくれそうにない。
怖かったです。
2009/10/19(月) 午前 0:08
二本松城は、知ってましたが、四本松城は、初めて知りました
石の上に石碑だけでも、行ってみたくなっちゃう城ですね(笑)
2009/10/22(木) 午前 0:19
おしょうさん
二本松はやはり城に二本の松を植えたことに由来するのかな。
三本松城もあったりして。
ちなみに、四本松は「しおのまつ」と呼びます。
2009/10/22(木) 午後 7:34
四本松城の以前には、住吉山城を根拠にして伴助兼が東安達地方を治めていたという言い伝えがあります。その住吉山城があるところは、地元では別名、金山(かねやま)といわれているところで、かなり昔に金鉱がありました。採掘の穴や、臼のような石などが付近に残っています。一部の地元の郷土史家は、後三年の役で勲功があった伴助兼が、金鉱のある住吉山をほうびとしして与えられた、という見方をとっています。
興味深いことに「日本の埋蔵金」研究所というサイト
ttp://www.komiyama.gr.jp/treasure/tohoku.htm#fukusima
の中には、次のような四本松城にまつわる埋蔵金伝説の紹介もあります。
四本松の埋蔵金
【埋蔵地】=安達郡岩代町
【背景】=かつて四本松城の本丸があったとされる岩代町の長折字四本松。この地の名家の家計図の裏に「朝日さす、夕日輝くたんぽぽの、北の稲荷に恩を埋める」の書き付け有り。
2010/3/30(火) 午後 6:09 [ - ]
fredholmalternativeさん
貴重な情報ありがとうございました。
2010/3/30(火) 午後 7:31