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登城日 一回目 1993年秋 二回目 2005年秋 晴 三回目 2009年 9月23日(水)曇 難易度 ☆☆ 場所 栃木県佐野市富士町1409 関東では珍しい高石垣の山城。
関東七名城の一つ。 唐沢山城は佐野駅の北側に聳える唐沢山の頂上にあります。 詳しい地図で見る 一回目はバイクで行きました。 唐沢山城へは車で容易に行けます。 二回目は佐野駅から歩きました。 歩くと麓まで約3km。 そこから3kmの山道。 標高はたった247mしかないそうですが、もっと高く感じます。 帰りも歩かなくてはいけません。 この時はきつかったです。 疲れ果てて、写真を殆ど撮らずに帰って来てしまった… よって、三回目は車で行きました。 唐沢山城遠景。 【唐沢山城の概要】 築城は平安時代の延長5年(927)に、藤原秀郷が従五位下・下野国押領使を叙任、関東に下向し唐沢山に城を築いたのが始まりとされる。 天慶3年(940)平将門による天慶の乱が起こったが、秀郷らの活躍で乱を鎮圧した。 この功績により秀郷は従四位、武蔵・下野両国鎮守府将軍を拝領した。 また、一説にはこの乱を鎮圧した天慶3年から築城が開始され天慶5年(942)に完成したと伝えられる。 その後、5代にわたりここに居城した後、6代成行は足利荘に移り一時廃城となった。 平安時代末期の治承4年(1180)9代俊綱の弟成俊は再びここに城を再興し、佐野氏を名乗った。 鎌倉時代に入った建保元年(1213)成俊は30余年の歳月をかけて城を完成させた。 以上のような伝承がある一方で、最近の研究では唐沢山城の起源は15世紀後半までしか遡らないことが明らかにされている。 秀郷築城が伝承された背景には、唐沢山城主の佐野氏の先祖が藤原秀郷であるからであるといわれる。 室町時代中期の延徳3年(1491)には佐野盛綱が城の修築を行った。 戦国時代の佐野氏は相模の北条氏、越後の上杉氏の二大勢力に挟まれどちらに付くか苦悩した。 当初、越後の上杉謙信と結んだ佐野昌綱は、永禄2年(1559)北条氏政に3万5千の大軍をもって城を包囲された。 謙信は即座に援軍を差し向け北条軍を撤退させた。 昌綱の子・宗綱は弟で上杉氏の養子に入った虎松丸と不和になり、一族間で「唐沢山天正の乱」と呼ばれる争いが起こった。 これにより佐野氏は上杉氏と決別するに至った。 天正4年(1576)虎松丸に加勢した上杉謙信は1万5千の兵をもってこの城を攻めたが、一族の結城氏・小山氏・皆川氏などの加勢により上杉軍を撤退させた。 その後も9度にわたり上杉軍の攻城を受けたがことごとく退けている。 この堅固さは評判となり関東一の山城と賞賛された。 上杉氏と決別し孤立化した佐野氏は、天正15年(1587)に北条氏康の五男・氏忠を養子に迎え北条氏と和議を結んだ。 天正18年(1590)豊臣秀吉による小田原の役では、当主の佐野房綱は豊臣方に付き城内の北条勢を一掃した。 文禄2年(1593)豊臣氏家臣富田一白の二男・信種を養子に迎え、秀吉の偏諱を賜り佐野信吉と名乗った。 慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは信吉は徳川家康方に付き3万5千石の旧領を安堵され佐野藩が成立した。 慶長7年(1602)麓に佐野城が築かれ平安時代より続いた唐沢山城はその歴史に幕を閉じた。 廃城に至った説として、江戸に火災があったとき、山上にある唐沢山城よりこれを発見し早馬で江戸に駆け参じたが、江戸を見下ろせる所に城を構えるは何たることかと家康の不興を買ったと言う話がある。 また、江戸から20里(80km)以内の山城は禁令されていたとの説もある。 明治16年(1883)有志により本丸跡に唐沢山神社が建立された。 昭和30年(1965)栃木県立自然公園開設。 昭和38年(1963)栃木県唐沢青年自然の家開所。 (wikipediaより)縄張図。 説明板。 駐車場に到着。 北側には土蔵跡があり、石垣が残っていたとか。 見落としました。 駐車場の東側に唐沢山城の桝形虎口があります。 説明板。 桝形虎口を上から。 この桝形をどう思います? 高麗門があって、奥に櫓門がある桝形虎口とは違う。 まるで、サーキットのクランクみたい。 桝形虎口の横には天狗岩への登り口がある。 天狗岩。 物見だった。 佐野市街を見下ろす。 天気がいい日は新宿の高層ビル群が見えるとか。 下りて先へ進む。 今度は唐沢山荘がある。 松茸料理が食べられる。 お金持ちだったらなぁ〜 (弁当くらいだったら買えたなぁ) 高い土塁が見られる。 天徳丸。 何かあるのですが、入れない様子。 その向かいには大炊の井がある。 この丸い井戸はどこかでみたような? 太田金山城ですね。 北関東の共通の仕様なのかな。 (写真は前回のもの) 説明板。 ここでちょっと寄り道。 蓬莱矢山へ向かう。 ちょとした平坦地あり、組屋敷かな。 蓬莱矢山には小さな神社がありました。 下りると三の丸との境にある四つ目堀が見えました。 この空堀はもっと深かったらしく、上杉謙信の進軍を阻んだという。 神橋を渡る。 真っ直ぐ行くと桜の馬場。 三つ目堀。 上から見下ろす。 三の丸へ行ってみる。 帯郭。 四つ目堀を見下ろす位置にある。 (前回のもの) 三の丸へ登る。 三の丸。 賓客の応接間があったところ。 人形供養塔。 説明板。 武者詰へ向かう。 武者詰は土塁に囲まれた曲輪。 武者詰から見た本丸。 二の丸の石垣を見上げる。 二の丸虎口。 二の丸側から見る。 二の丸。 奥御殿直番の詰所があったところで武者詰ともいわれた。 (つづく) |
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唐沢山城はもっと寂れているのかなと想像していましたが、神社や山荘などあったり、車で上のほうまで上がれるみたいで、かなり想像と違ってました(^^ゞ
それにしても駅から歩いていくのは、難しそうですね(^^; どうやってアプローチするか、考えないと(^^;やっぱり自転車かなぁ
2009/10/27(火) 午後 11:58
Shaneさん
こんばんは
標高は高くないですが、自転車で登るのはかなりキツイです。
何とか自動車を調達することをお薦めします。
でないと、私の2回目のように、疲れ果ててろくに見ずに帰るはめになります。
2009/10/28(水) 午前 0:07