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登城日 2009年10月10日(土)曇 難易度 ☆☆ 場所 滋賀県大津市錦織町 戦国ブームを乗車につなげようと、京阪では沿線の城址の散策を案内している。 右側の坂本城・大津城・膳所城・瀬田城は行ったので、今度は左側の3城へ行ってみようと思い、まずは宇佐山城を目指しました。 最寄駅は京阪石坂線近江神宮前駅です。 詳しい地図で見る JR大津京駅から見た宇佐山。 【宇佐山城の歴史】 元亀元年(1570)朝倉氏の南進に備えるべく、琵琶湖と北国街道の押さえを意図する織田信長に命じられた森可成によって、近江国滋賀郡に築かれた。 同年、摂津国で勃発した野田城・福島城の戦いで織田軍主力が投入されている中、浅井・朝倉連合軍は信長の背後を突くべく進軍を開始。 城主・森可成は近江に居た野府城主・織田信治、青地茂綱らと共に交通の要所である坂本を先に占領して街道を封鎖して連合軍の進軍妨害を試みる。 そして9月16日に緒戦においては連合軍を撃退する。 しかし本願寺顕如の要請を受けた延暦寺の僧兵も連合軍に加わり、9月20日にさらに数の膨らんだ連合軍の侵攻で先鋒の朝倉景鏡を押し返すなど健闘を見せるが浅井対馬・玄蕃の2千に側面から攻撃を仕掛けられ、さらに朝倉中務、山崎吉家、阿波賀三郎の隊に加え浅井長政本隊もこれに加わったためついに崩れ森可成、織田信治、青地茂綱の3人は討ち死にする。 22日には摂津の信長にも知らせが届き、近江の情勢を知った信長はこの浅井・朝倉連合軍との対決を優先。 23日に「野田城・福島城の戦い」から織田軍主力を撤退させた。 その間、宇佐山城は坂本で森らを破った連合軍の猛攻を受けていたが可成の家老である各務元正らが城兵と共に強硬に抵抗し、24日に信長が大津が救援に現れるまでついに落城しなかった。 その後、この地を賜った明智光秀が入城するも、翌年坂本城を築いて移ったため廃城となった。 (wikipediaより) 【宇佐山城の概要】 本丸は南北約30m、幅約15mの平坦地で、この南側に幅4m程の石段が取り付きます。 石段の両側には櫓門(やぐらもん)跡と見られる高まりが残ります。 この門が大手門(おおてもん)になると考えられます。 また、本丸の東側斜面には、自然石を積んだ(野面積)(のづらづみ)石垣が良く残っています。 本丸の東にある石垣には排水溝を伴う堅固な造りが見られる等、宇佐山城は、規模は小さいながらも近世的な城郭の先駆け的な構造も備えており、城郭史上重要な意味を持っています。 この他、二の丸が本丸の南に、三の丸が本丸の北にあります。 【宇佐山城の特徴】 宇佐山城は、京都への主要路である、「山中越」(やまなかごえ)を押さえる場所にあり、織田信長が四方の敵と対峙し、非常に苦しい戦いを強いられた元亀争乱(志賀陣(1570〜1572))の際に、浅井、朝倉連合軍の近江侵攻に備える拠点となった城郭です。 城主である森可成が入城したときに、どの程度の縄張であったのかは良く判りませんが、浅井、朝倉連合軍と対峙するにおよび、石垣による堅固な造りに整備したものと考えられます。 (滋賀埋蔵文化財学習シートより抜粋)宇佐山城へ登城するのは難しい。 京阪は宣伝しておきながら、登城道がはっきりしないのです。 まず、宇佐八幡宮を目指す。 宇佐八幡宮参集殿を右に。 参道を登って行く。 ここから坂がきつくなる。 この鳥居から宇佐八幡宮まで300m。 参道の右側に赤い柵に囲まれた一画がある。 御足形といい、治暦元年(1065)に源頼義が宇佐八幡宮建立に相応しい場所を探していたとき、数羽の鳩が岩から飛び立ったので、行ってみると神の足跡が残されていたという。 振り返るときつい坂道だった。 後から考えると、これは序の口だった。 やがて金殿井に到達。 猫が丸まってまったく退かない。 金殿井は昔、天智天皇(667)がこの地に皇居を定めた折り病気になられ、その時「中臣ノ金」という人がこの井戸水を差し上げたところ御平癒されたとある。
故にこの泉を「金殿井」いう。 後世、この水を頂き疾病に霊験を受く。 八幡宮の創建(1065)に際し「御神水」として一般に公開、次第に広くその効を伝え、特に難病諸病に奇瑞あり。 毎年八月上旬土用の日にこれを頂くと殊に効験あらたかなり。 八月上旬霊泉祭を執り行う。 (現地説明板) 金殿井のところに右に曲がる山道あり。 宇佐山城址の矢印がある。 その前に宇佐山神宮へ向かう。 すぐに階段と門が見えてくる。 門を潜ると本殿。 人皇第十代冷泉天皇の治暦元年八月十五日(約九百十余年前)、鎮守府将軍源頼義公がこの山に九州宇佐神宮を祀り産土神として崇敬しました。
故にこの山を宇佐山と名付けた。 後に織田信長がこの山頂に宇佐山城を築き浅井朝倉軍と戦い、その落城の戦火により社殿ことごとく焼け失せ爾来仮殿のまま九百年余を経て近年復興の計画中であります。 又、「むし八まん」と称し子供の守り神として名高く・命日は一月十五日です。 (現地説明板) 本殿横には、焼けてしまった源頼義創建当時の柱石。 宇佐山城落城時に当神社が焼失したことを証拠づけるものだそうです。 さて、金殿井のところまで戻って、いよいよ登城開始! と、思いきや急に道が不明確になる。 たまに木に印があるが、道が不明確で不安。 台風が通り過ぎた直後だったので山が荒れてしまっていて、さらに良く解らなくなってしまっていた。 倒れてしまった案内板。 テープが張っているところもある。 何となくあてずっぽうで登って行くと、ようやく頭上に石垣が見えてきました。 本丸直下の石垣。 ここはなかなか見所ありますね。 しかし、足場が悪すぎます。 その上にも石垣が見えました。 空堀みたいな窪み(排水溝らしい)もありました。 本丸へ登る。 本丸にはNHKの無人の局舎がある。 南側には二の丸がある。 虎口と櫓門があったらしい。 二の丸から見た櫓台。 櫓台と二の丸に間には堀跡がある。 二の丸。 二の丸の南側に南郭がある。 南郭の東側に一番の見所である石垣があります。 ここまで到達するのは至難の業です。 もっと引いて全体像を撮りたかったのですが、足場が悪過ぎて撮れません。 そのまま北へ移動。 大手付近。 二の丸へ戻る。 西(京都方面)を見る。 この城は見通しが悪い。 西側に南西郭があるが、特筆すべきものはありませんでした。 主郭まで戻り、こんどは北にある三の丸へ向かう。 本丸と三の丸の間には堀切みたいに窪地があって、西へ下りていく搦手道があります。 三の丸。 削平地であることは解るが、蜘蛛の巣だらけで堪らなかったです。 三の丸の東側にも石垣がちょこっと残っています。 宇佐山城さようなら。 虹がきれいでした。 いや〜久しぶりに大変な山城でした。 帰りは何回もこけましたし、おまけに道を見失いました。 城を下りるとすっかり夕暮れになってしまいました。 おかげで、他の2城へは行けませんでした。 (補足) 森可成の墓は、坂本の聖衆来迎寺にあります。 |
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自分も、右4城は攻略済ですけど左3つは未訪問です
石垣も使われてるし、見所ありそうですけど
なかなか訪問もしにくい場所でも有りそうですね
2009/10/29(木) 午後 9:35
おしょうさん
こんばんは
宇佐山城でこんなに難儀しては、とてもその奥にある壺笠山城へは容易に行けそうもありません。
2009/10/29(木) 午後 9:40
お疲れ様ですね。
比叡山麓には織田期の城とかも眠っていると聞いたことあります。
壺笠山城はどんなんなんでしょうねー。
2009/10/31(土) 午後 7:50 [ mat**u_p*pa ]
遺構は宇佐山城の方が残っているらしいです。
比叡山に登る途中にあります。
2009/10/31(土) 午後 10:50