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登城日 2009年10月11日(日)晴 難易度 ☆ 場所 兵庫県相生市那波大浜町
相生の町の真ん中に桜の名所である大島山があります。 ここにかつて大島城がありました。 詳しい地図で見る 【大島山の由来】 大島山は蝦江(相生湾)に浮かぶ翠の美しい離れ島であった。 保元二年に小千通清が架僑し次に赤松氏が船橋をかけて則村の時にここに城を築いた。 その後赤松氏の家臣宇野弥三郎重氏と速弥太の兄弟が城主となった。 この城は大島城と称し別名浜御殿と呼ばわれるほどの美しいものであった。 宇野氏の後海老名弾正に恩賞として与えられたが建武の役に弾正の軍が敗走し嘉吉の役に惜しくも焼失してしまった。 その後宝永七年前川新右衛門が那波新田を開墾した際陸つづきとなった。 大島山は藤の名所として知られ往時より武将をはじめ里人たちが藤見の宴に興じたと云われる 頂上西側の井戸(通称ブツブツ井戸と呼び疣とりの名薬といわれた)の傍にひと抱えもあるほど藤かずらがうねっていたが昭和十二年九月の大風に根こそぎ倒され枯死してしてしまった。 頂上には金毘羅、住吉の両社と地蔵堂があり年々歳々祭礼が行われていた。 殊に地蔵祭は里人が手ん手に松火をかざして参拝する珍しい祭りで深い茂りの中に点滅する松火が海面にうつる美しさは夏の夜の風物詩であった。 縄の浦ゆ背向にみゆる沖つ島こぎみる船は釣しすらしも (この万葉集の短歌は、千三百年に山部赤人が那波の浦を詠んだ歌で、当時離れ島であった大島も沖つ島の一つであったことだろうと思われる。) 【大島城跡】 この大島城は、長治元年(1104)播磨海老名の祖、家季がここに城郭を築いたのがはじまりといわれています。 城主海老名氏は、代々矢野荘別名の下司職矢野荘例名の地頭職等に任ぜられた豪族です。 建武三年(1236)別名の下司職であった七代景知は赤松円心に属し、弟の詮季や同族の泰知と共に白旗城にたてこもって新田義貞軍と戦い功績をあげましたが留守にしていた大島城は新田軍に組した者によって焼き落とされたといわれています。 また、江戸時代中期の文書によると、「大島城は那波城とも言う。丘ノ台は二の丸で矢倉跡、今は畠となる」とあって、この城の規模を知る手がかりとなります。 (現地説明板より)那波港に浮かぶ大島城遠景。 丸い山です。 北側に登城口があります。 登城途中に小さな削平地が見られました。 この石垣は本物? 本丸跡。 北側には一段低い曲輪がある。 善光寺もある。 説明板。 首から上の病気に御利益があるそうです。 大島山はかつては藤の名所だったのですね。 その他狐にまつわる伝説があります。 詳しくは下記HPを参照。 http://www.aioi-city-lib.com/bunkazai/den_min/densetu/09.htm 大島城の海老名氏は、相模国海老名を本貫地とする。 海老名氏の居館は相生2丁目にあった。 (神姫バス相生港下車、コープが目印です。) ここは、江戸時代にはこの地を拝領した大石内蔵助の別邸があったところでもあります。 北にある天満神社。 神社の由緒。 海老名氏が建立したとある。 (おまけ) 周辺にはいろんな史跡があります。
感状山城の模型があります。 必見です! 白龍城(ペーロン城)。 道の駅です。 食事と温泉施設があります。 名物「かき味噌ラーメン」。 スープがおいしかった。 おなじみのマンホール。 相生はペーロンが有名なんです。 初夏にペーロン祭が開催されます。 詳しくは、下記HPをご参照。 http://www.city.aioi.hyogo.jp/sight_seeing/kankou/peron/history/index.html 対岸には石川島播磨重工(IHI)があります。 相生は造船の町です。 IHIの前身の一つである播磨造船所の本拠地でした。 相生の政治家である河本敏夫。 前は橋があったんだけどなぁ〜 平成14年に無くなったそうです。 相生港も一部埋め立てられてしまいました。 何をするつもりなんだろう? この相生は、聖徳太子のブレーンだった秦河勝の由緒ある地とのこと。 隣りの坂越に墓があるそうです。 ここにも伝説があります。 詳しくは下記HPご参照。 http://www2.aioi-city-lib.com/bunkazai/den_min/den_min/densetu/08.htm 那波野に向かったのは… ど根性大根の「大ちゃん」がどこにあったのか見に行くためです。 大ちゃんは心無い人に持ち去られたそうです。 しかし、クローン技術で培養されているとか。 一時期は相生も話題になりましたが、すっかり忘れ去られてしまった感があります。 もったいないです。 余談ですが、この交差点の向こうに若狭野陣屋の移築城門があるとか。見落としました。 |
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