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登城日 1回目 2000年頃 2回目 2009年10月12日(月)晴 難易度 ☆ 場所 京都府京都市北区紫野北舟岡町49 京都の盆地にポカンと浮かぶ島のような船のような小山があります。 船岡山です。 平安京大極殿跡の北方、大徳寺の南に位置します。 詳しい地図で見る 船岡山の説明板。 ここが平安京の基点になったそうです。 船岡山の石碑。 ここに船岡山城がありました。 【船岡山城について】 船岡山城は、応仁元年(1467)に始まる応仁の乱の西軍の城として船岡山に築造された。 (備前国守護の山名教之や丹後国守護の一色義直らが船岡山城で立てこもった。 この時に、西軍は船岡山一帯を陣地としたため、その後「西陣」の名で呼ばれるようになる。) 翌年、東軍によって落城し、その後は東西両軍とも利用しなかったため、廃城となった。 臨戦用の陣城と推定されており、恒久的な城郭施設の存在は不明である。 遺構としては山腹に横堀が掘られており、堀の外側土塁が積みあがっている。 また山頂部にはかなり広い削平面が確認でき、典型的な中世の山城であった。 その後、永正8年(1511)には、細川政賢と大内義興の間で繰り広げられた有名な船岡山合戦が行われた。 (wikipediaより)応仁・永正戦跡舟岡山の碑。 説明板。 広い削平地。 グランドになっています。 その上にも削平地があります。 比叡山が良く見えます。 トイレの横に窪みあり。 枯れた小川かと思いました。 これが、船岡山が城跡だったことを物語る横堀の跡だそうです。 トイレを囲むように90度曲っています。 そこから山の中腹を西に続いています。 上から見ると、そこだけ線が入ったようです。 川が横に流れるのは不自然ですね。 やはり堀跡です。 堀跡は徐々に影が薄くなっていきます。 とうとう消滅してしまいました。 その上にも堀があったのでは。 頂上へ向かう道の途中には小さな石仏が何体かありました。 頂上の削平地。 頂上から左大文字を見る。 頂上から京都市街を見る。 応仁の頃はあちこちで火の手が上がっていたことでしょう。 何デスカ? 見張り台? 三角点。 鳥たちが水遊びに興じていました。 思わず見とれてしまった… 船岡山の東半分は建勲神社となっています。 境内には土塁や空堀が残っているようですが、見れません。 説明板。 織田信長を祀っています。 船岡山を後にします。 西側には、石の門みたいなところがありました。 京都の街中にあって別世界みたいです。 もし、京都が都でなかったら、ここに堀を巡らした平山城が出来ていたのでは? そんな丁度いい大きさの山でした。 |
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京都の船岡山も城址だったんですね。応仁の乱の時のお城だったんですね。京都の街の眺めがいいですね!
WPいきますね!
2009/11/2(月) 午後 9:47
Shaneさん
ありがとうございます。
京都は今でこそ煌びやかなイメージですが、実際はそうでもないですよ。
城跡はあちこちにあります。
京都人の食べ物はこってりしたものが多い。
表裏が激しいですね。
2009/11/2(月) 午後 11:13