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登城日 2009年10月28日(水)晴 難易度 ☆ 場所 愛知県安城市安城町城堀30番地 安祥城は、松平氏(のちの徳川氏)が岡崎城へ移るまでの本拠地でした。 安祥城の最寄り駅は、名鉄西尾線南安城駅ですが、JR安城駅から100円バスがたまに走っています。 詳しい地図で見る 【安祥城の概要】 安祥城(安城城)は、三河国碧海郡安城(現在の愛知県安城市安城町)にあった城。 舌状台地の先端に位置し周囲を森と深田に囲まれていて、その内側に土塁や堀があり、天守を持たない平山城だった。 室町時代中期に築城され、織田氏、今川氏、松平氏との間で激しい戦闘が繰り広げられた。 城の別名は、先述したように周りが森に囲まれていたことから森城(もりじょう)と呼ばれた。 現在では、碑・塚・切岸・堀・一部曲輪などが残るだけとなっている。 本丸は大乗寺、二の丸は八幡社、三の丸は大乗寺の裏手あたりになる。 また、徳川最古参の三河安祥之七御普代の発祥の地でもある。 三河安祥之七御普代とは、酒井左衛門尉・大久保・本多・阿部・石川・青山・植村、または酒井・大久保・本多・大須賀・榊原・平岩・植村を指す(『柳営秘鑑』)。 『信長公記』に「三川の内あん城と云ふ城」と記載される。 織田氏が保有していた時代には、三河進出の牙城となった。 (wikipediaより)安祥城跡は、本丸が大乗寺、二の丸が八幡社、三の丸が安城市歴史博物館となっています。 説明板。 安祥城古図。 本丸跡に建つ大乗寺。 山門下に建つ城址碑。 本丸の北側には本多忠高の墓碑がある。 説明板。 本丸東側には土塁が復元されている。 土塁と本丸の間にある井戸跡。 本丸南隅櫓跡。 本丸と二の丸の間の空堀跡。 本丸の切岸。 今度は二の丸へ向かう。 本丸の南西にあった二の丸跡。 八幡社が建つ。 二の丸南側にも土塁が残る。 二の丸北側と三の丸跡に建つ安城市歴史博物館を見る。 姫塚。 安祥城攻防戦で亡くなった女性を葬った塚と伝えられている。 善恵坊の碑。 天正13年(1544)9月の安祥城攻防戦で、ひとり敵中へ討って出て、奮戦した安城村の法師善恵坊を供養した碑。 三の丸跡の安城市歴史資料館。 ちょうど企画展『安城松平一族』をやっていました。 徳川氏は好きではないのですが、その発展の過程が良く分かりました。 念仏踊りに扮して安祥城を乗っ取ったそうです。 また、今川氏の武将として伊勢新九郎(のちの北条早雲)が攻め入ったという。 勉強になるなぁ〜 博物館の中の模様は、三河一色氏(足利氏)の家紋をモチーフにしているのかな? 松平清康(徳川家康の祖父)。 三の丸と本丸の間の闇道。 城跡周辺を散策。 三の丸北側の虎口跡。 良く分からない。 隅櫓跡。 隅櫓跡を北から見る。 手前の堀跡はグランドになっていました。 安祥城跡の北にある明法寺。 境内には中川覚右衛門の墓碑がある。 説明板。 この寺の前の畑は堀か深田だったのでしょう。 さらに北にある本多忠豊の墓碑。 説明板。 安城市場神。 説明板。 もう一つの市場神。 説明板。 何にも無いかと思いましたが、結構見るところがありましたし、歴史博物館はなかなか良かったです。 (おまけ) 安祥城の周囲には、二代城主松平長親が選定した七つ井がありました。 一つ目、梅井。 安城南部小学校の敷地内にある。 ささら川。 何と、この川には誕生日がある。 三の丸にある二つ目、風呂井。 東へ向かう。 三つ目、浅黄井。 民家の壁に埋もれている。 井戸の石は塀に使われていた。 その北にある四つ目、筒井。 トンカチの放置は危ない! 説明板。 五つ目、中井。 民家の敷地内にあるのかな? 六つ目、桜井。 かつてきれいな湧水が出たという井戸がこんな無残な姿に。 石が積まれて、しかも井戸の上に塀がのっかっている。 最後の柳井が見つからなかった。 後で調べたら、中日トーヨー住器の敷地内にあったようだ。 残念無念。 |
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さすが 細かく廻られてますね^^
自分は、公園とその周りをちょっとだけでした
いろいろ見るところありますね〜〜
2009/11/17(火) 午前 0:16
案内板みていたら全部行ってみたくなってしまった。
本証寺が無理と解ったので。
しかし、また日没で最後が見つけられなかった。
といっても、容易に再訪出来ないですから、残念です。
2009/11/17(火) 午前 0:21
月の輪殿さん、いつもながら丹念に回られていて素晴らしいですね! 安祥城址は何度かいっていますが、これほど丹念には回っていないです(^^ゞ
WP & TBしますね!
2009/11/18(水) 午後 9:09
Shaneさん
TBありがとうございます。
余談ですが、安祥城という表記は美化したもので、安城城が正しいようです。
2009/11/18(水) 午後 11:17