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松浦のからあげ弁当(名古屋駅)
鉄道関連
[ nfn***** ]
2018/11/6(火) 午前 8:20
能登国分寺跡(石川県七尾市)
名所旧跡関連
[ 歴史&環境&公徳心ツアー ]
2018/7/7(土) 午後 2:16
8世紀に能登国が成立すると、七尾に国衙(こくが=国の役所)がおかれ、国府としての街作りがはじまります。
国府の横には能登国総社がたてられました。能登国の国衙は未発見ですが、地名から古府町周辺に造られたと想定されています。
国衙の周りには様々な役所や蔵など、沢山の建物が建てられていたと思われます。
実際に、徳田町から古府町一帯にかけて、多くの古代遺跡が確認されており、このどこかに国衙と群衙が造られていたと推測されています。
全国の国衙の発掘調査から、中心の建物は瓦葺きであった可能性がある。古府遺跡や総社からは瓦が出土しています。場所は未だに確定できていないので、今後の発掘調査が待たれる。
また海岸では、国の港(国津)として香島津の整備されたことがわかる。というのは『延喜式』という書物の主税寮諸国運送漕雑物功賃条に、香島津から越前敦賀津までの雑物を運ぶ場合の船賃の記載があるので、国が管理していた国津とわかるのである。
能登国府跡(石川県七尾市)
名所旧跡関連
[ 歴史&環境&公徳心ツアー ]
2018/7/7(土) 午後 2:05
天平宝字元年(757)再び能登国が置かれます。
東北地方に大きな反乱が起こったこと、朝鮮の新羅に向けて出兵を計画するなど、内外に緊張した事態となる。
その為に、能登を一つの国として防備を固める必要に迫られた為である。
以後、能登は、ずっと独立を保ち続けます。能登国が成立した頃、まだ加賀は湿地帯の多い荒れ野原が多く、国として独立するような状況にありませんでした。
つまり、七尾鹿島は石川県で一番早くから国府として開けた町でした!
国守の初見としては、天平宝字4年(760)正月に任命された高元度(こうげんど)であり、その頃からようやく一国の体裁を整ったといってよい。
ただし、高元度は入唐中であり、実際に政務をとったのは、同5年に任命された上毛野牛養(かみつけぬのうしかい)であった。
[ 中路正樹 ]
2016/7/29(金) 午後 7:12
[ 中路正樹 ]
2016/7/29(金) 午後 7:02
立本寺(京都市上京区)
神社仏閣関連
[ Barna Gergo ]
2016/4/2(土) 午後 11:28





