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(もどる) 境内図。 拝殿。 粥占神事説明板。 良く見えない本殿が載っています。 拝殿南側に授与所。 花守。 お札と絵馬。 神矢とお守り。 ラグビー守もありました。 花園が近いですからね〰 絵馬掛け。 拝殿裏の中門と透き塀。 奥に本殿の屋根がちょっと見えました。 照沢池を泳ぐ鯉。 拝殿の方を振り返る。 巽参道を南へ進む。 ここに一番最初にご紹介した周辺の観光案内図。 遥拝所。 お百度石。 摂社若宮社。 出雲井(撮り忘れた)から湧き出た池。 巽参道と合流。 創建2670年に当たる平成19年8月吉日に建てられた巽参道改修記念の碑。 白水井。 末社天神地祇社へ。 天神地祇社境内。 振り返る。 天神地祇社社殿。 境内にあった19末社と付近の氏神様を明治5年に合祀。 楠木正行縁の井戸。 四条縄手の合戦地であったとか。 振り返る。 枚岡公園案内図を参考に、 枚岡梅林へ。 説明板。 少し早かった… 本宮へ向かいます。 ミッキーマウスのベンチ。 ハケ・ブラシ顕彰碑。 説明の碑。 一休み。 約30分登って神津嶽頂上到着! 頂上の本宮。 枚岡神社創始之地の碑。 説明の碑。 下山。 大阪の街を見下ろす。 神津嶽を振り返る。 最後に御朱印。 河内国一の宮、枚岡神社でした。 |
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所在地 大阪府東大阪市出雲井町7番16号 主祭神 天児屋根大神・比売大神・武甕槌大神・斎主大神(経津主神) 創建 神武天皇紀元前3年 最寄駅は近鉄奈良線枚岡駅。 西口に観光案内図があるのですが簡略化しすぎているので境内にある案内図で。 麓を南北に通る東高野街道。 国道170号線で、このまま南へ進むと瓢箪山のジンジャモール商店街へ。 東高野街道に面して一の鳥居が建っています。 説明板。 【記】 第一鳥居は、享和年間に建立。 以来、弘化3年6月に注連縄掛等取付けの手を加え、鳥居町の人手に馴れ親しんで今日を迎え、平成7年の阪神淡路大震災に歪みが生じ、鳥居自治会の協力のもと、上部柱及び貫等を取替え立派に改修工事が完成し、神津嶽を望む第一鳥居の威容を一段と高く仰ぎ、盛大に竣工式を挙行した。 平成10年8月吉日 参詣道である松の馬場を進む。 参詣道途中にお地蔵様と巨石。 踏切を渡らずに左折すると枚岡駅へ戻る。 線路を潜る。 出た所に社標。 奈良にある春日大社の勧請元のため、元春日の別称がある。 参道の階段。 階段を登った所。 参道から逸れ北へ行くと石鳥居。 石燈籠と時計台。 参道へ戻る。 由緒書。 河内国一の宮 旧官幣大社 【枚岡神社】 <御祭神> 第一殿 天児屋根大神 第二殿 比売神 第三殿 経津主大神 第四殿 武甕槌大神 摂社 若宮社 御祭神 天忍雲根大神 末社 天神地祇社 御祭神 天津神、国津神 <御由緒> 社伝によれば、神武天皇御東征の砌、紀元前3年国土平定祈願のため、天種子命勅命を奉じて現社地の東方山上の霊地神津嶽に、天児屋根大神、比売神の二柱の神霊を奉祀せられた。 その後孝徳天皇白雉元年(650)平岡連等が、現社地に神殿を造営、山上より二柱の神霊を奉遷し、次いで光仁天皇宝亀9年(778)香取鹿島より、経津主大神、武甕槌大神を勧請奉斎して以来、四柱の神霊が四殿に御鎮座になっている。 悠久限りなき上代に勅旨にて創祀せられた故を以って、古来朝廷の尊崇最も厚く大同元年には封戸60戸を有し、貞観年中に神階正一位を授けられ、同時に春秋の勅祭に預り奉幣を受け、之を以って永例と定められ、更に延喜の制成るや大社として三大祭に案上の官幣に預り、名神祭、相嘗祭の鄭重なる祭祀を受け、殊に春冬の2回勅使を遣わされて厳粛なる枚岡祭を行わせらるる外、随時祈雨祈病大祓等の祈願奉幣に預る等、最高の優遇を受けた。 中世より河内の国一の宮として御社運益々繁栄し河内一円の諸衆を氏子とし、武家、公家、庶民に至るまで根強き信仰を集め、明治4年神社制度が確立されるや、官幣大社に列格され御神威は益々高揚しその後幾多の変遷を経たが、創祀以来2600有余年の由緒を誇る大社としての格式と尊厳を保持し、今日に至っている。 尚摂末社として若宮社、天神地祇社が御鎮座になり、その南方の神苑には数百株の梅樹が植栽され、季節には参拝者の目を楽しませている。 例祭 2月1日 秋郷祭 10月14日、15日 月次祭 毎月1日 節分祭千灯明奉納 2月3日又は4日 家内安全祈願祭千灯明奉納 8月第四日曜日 特殊神事として 12月25日 注連縄掛神事、お笑いの神事 1月11日 粥占神事 1月15日 粥占報賽祭 5月21日 平国祭 8月25日 風鎮祈願祭 9月25日 風鎮報賽祭等 二の鳥居。 参道。 参道脇にまた由緒書と境内図。 撮り難かったのでHPより。 行かずに、参道を真っ直ぐ進み参道広場へ。 参道広場の南側に斎館。 斎館の東側に参集所。 御祓川(夏見川)を渡ると古神符納札所。 古神符納札所の東側に祓所。 祓所の滝。 ここから階段を登って拝殿まで行くことが出来ます。 階段脇に浅田末吉翁顕彰碑と香り百選認定の碑。 階段から参集所を見下ろす。 参道広場へ戻る。 手水。 青銅製神鹿が吐いておられました。 参道広場改修之碑。 古来より何度も改修して今日に至る。 宮司の歌碑。 参道を振り返る。 注連縄を潜って参道を進む。 駒鹿。 右側。 左側。 撫でて下さいとのこと。 階段を登る。 登って見下ろす。 拝殿でお参り。 三条実美揮毫の神額。 拝殿北側に鶏鳴殿。 奥に神饌所(御釜殿)。 ノカンゾウ。 感謝の碑。 遠く大阪の街が見渡せました。 拝殿前に戻る。 本宮へ向かいます。 (つづく) |
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(もどる) ≪大鳥大社境外摂社≫ 所在地 堺市堺区宿院町東2丁1-6 主祭神 弟橘姫命 創建 不詳 もと、大鳥郡八田荘村大字堀上大明神山に鎮座していたが、明治41年に堺市宿院にある大鳥大社の御旅所(宿宮頓宮)へ遷座。 所在地 堺市西区浜寺元町3丁239 主祭神 吉備穴戸武媛命(景行天皇の妃) 創建 不詳 最寄駅は、阪堺線の浜寺駅前か、南海本線浜寺公園駅。 駅から東へ進んだ住宅街の中に鎮座。 参道の鳥居。 道路が貫通する境内。 社標と官幣大社大鳥神社御旅所の碑。 明治6年(1873)までは大鳥鍬靫神社と称していた。 注連縄。 由緒書は読めなかった。 手水舎。 社殿。 結局、解からず。 所在地 大阪府高石市羽衣5-2-6 主祭神 両道入姫命(日本武尊の妃)、井戸守稲荷大明神 創建 慶雲3年(706) 最寄駅は南海本線羽衣駅かな。 駅から羽衣小学校とほんみち本部の間の道を南下。 ほんみち本部の壁画。 羽衣伝説ですかね? 約10分で境内に到着。 案内板。 末社金毘羅大権現。 燈籠が社殿の代わり。 由緒書。 【大鳥羽衣濱神社】 <御祭神> 両道入姫皇女 (由緒) 謹しみて惟みるに、創祀せられしは文武天皇の御代にして慶雲3年鎮座せられ今日に至るまで、実に1260有余年を経たる、延喜式の古社であります。 古くより井戸の守大明神と申し上げ、尊崇せられてまいりました。 境内手水舎の井戸水は古来霊泉として近郷近在より拝戴せられてまいりました。 (例祭) 10月5日 【井戸守稲荷社】 <御祭神> 井戸守稲荷大明神 (由緒) 稲荷大明神は、五穀豊作、商売繁昌の神として尊崇せられ、地元氏子民の要望により昭和37年新たに鎮座せしものなり。 (例祭) 初午 【金刀比羅宮】 <御祭神> 大物主神 (由緒) 古く当地方は半農半漁の處として営なまれ、舟神様である金比羅さんを崇拜、現国道脇に奉斉されしを、昭和40年御遷座申し上げ、鎮祭せられしものにして、この燈籠に大神様の御霊を籠らるものとして拜する。 燈籠は文化年間のものなり 北から境内へ入って来た参道が西向きへ。 末社井戸守稲荷社。 建ち並ぶ鳥居。 左の狛狐。 右の狛狐。 社殿。 手水舎。 古札入。 社殿。 南の参道。 北の参道へ戻る。 境内を出る。 末社大神は見落としました。 最後に御朱印。 大鳥五社明神でした。 |
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所在地 堺市西区鳳北町1-1-2 主祭神 日本武尊・大鳥連祖神 創建 不詳 【大鳥大社】 <由緒沿革> 当社は醍醐天皇延喜式神名帳所載の名神大社であり、月次新嘗の官幣に預かり、和泉国の一の宮として、歴代皇室の御尊崇極めて篤く殊に防災雨祈の御祈願社85社の1であって、屡々臨時奉幣に預かり、御神階も清和天皇貞観3年7月には従三位に叙せられ、後正一位に御昇階になりました。 御祭神日本武尊様は景行天皇の第二皇子で、その武勇は広く知られているところでありますが、社伝によりますと日本武尊が東夷御征討の帰途、俄に病にお罹りになり、伊勢国能褒野に於て薨去遊ばされ、その御屍は白鳥と化して飛び去り給い、最後に当所に来り留まられましたので、社を建立して尊様をお祀りしたのが当社の起源であって今から約1850有余年前であります。 叉、大鳥連祖神様は、此の和泉国に栄えた神別であられ大中臣と祖先を一にする。 大鳥氏と言う部族の先祖をお祀りしたもので、新撰姓氏録には天児屋根命を祖先とすると伝えられて居ります。 当社は明治4年5月祭神日本武尊として官幣大社に列格になりましたが、明治9年1月天覧に供しました官社祭神考証に於ては、祭神大鳥連祖神とせられ、明治9年以来この説が公のものとせられていたので、爾来当社歴代の宮司は度々御祭神の御変更方を禀請致しましたが、ついに明治29年10月3日付を以て、「上奏相成候官社祭神考証に於て大鳥連祖神と確定相成居候条左様御承知有度」との時の内務省社寺局長の通達回答がよせられて、当時としてはこれ以上は神社側の主張を通す方法はなかったのでありましたが、偶々昭和32年6月28日付にて、祭神日本武尊増祀の御允許を得ることとなり、茲にに御祭神に関する問題も決裁し日本武尊様を主祭神とする弐座の御社となり、御神慮に御応え申すことが出来たのであります。 御祭神の御神徳は文武の神として、累代の武家の崇敬が篤く、平清盛、同重盛父子が熊野参詣の途次、当社に祈願し、和歌及び名馬を奉献したのを始めとして、織田、豊臣、徳川の三武将も社領の寄進、社殿の造営等を再度に亘って奉仕して居ります。 叉、聖武天皇の御宇には、僧行基が勅願を奉じて、この地に勧学院神鳳寺を建立しましたが、明治維新の神仏分離によって廃寺となりました。 (大鳥大社由緒略記より抜粋) 最寄駅はJR阪和線鳳駅。 駅から熊野街道を北へ進む。 途中の鳳小学校の壁画は、10月第1土曜日に行われるだんじり宮入り(鳳だんじり祭り)。 境内南西角。 西からの表参道。 振り返ると、浜寺まで真っ直ぐの道。 境内の北西に大鳥会館。 由緒書。 表参道を進む。 振り返る。 表参道の途中へ通行止めの北参道。 北参道入口も通行止め。 表参道へ戻る。 かつては、神鳳寺まで続いていた参道は、婚儀殿(?)に突き当たる。 右折する。 参道南側に絵馬殿。 脇参道との合流地点。 複雑な境内案内。 ズレてる? 脇参道へ行ってみる。 境内南側の脇参道入口。 境内南東角を東へ行った所にある。 JR鳳駅からはこちらが近い。 脇参道を進む。 崇敬会館。 表参道との合流地点へ。 合流地点から表参道を振り返る。 進む。 南側に社務所。 北側に祓所。 祓所の東側に、祭神である日本武尊像。 近づいてみる。 大鳥大社説明板。 境内の中央付近にやって来ました。 鳳凰の神紋を付けた神馬。 その裏に手水舎。 奥に富岡治郎翁顕彰之碑。 手水鉢。 手水舎の北側に竹本素六先生句碑。 本殿へ。 八角鳥居。 社殿。 西南から見る。 第一祈願所を西から見る。 賽銭箱に鳳凰の神紋。 第一祈願所内部。 本殿は大鳥造で、 明治38年(1905)8月15日に落雷により焼失したものを、明治42年(1909)12月に再建したもの。 社殿西側。 引いて見る。 奥の建物は婚儀殿(?)。 社殿東側。 以前は、こちらに参道があったらしい。 第二祈願所。 梅の花。 第一祈願所を東から見る。 本殿前の末社。 神門。 八角鳥居脇のおみくじ所で御朱印をもらう。 午後4時頃には閉まってしまうので注意! 八角鳥居を潜って出る。 鳥居前の東側。 与謝野晶子の歌碑。 説明板。 平治元年、平清盛、重盛父子が熊野参詣の途中、都にて兵乱あるとの急報を聞いて都に帰る途中、大鳥大社に参拝し、戦勝を祈願した。 この時、 「かひこぞよ かへりはてなば 飛びかけり はぐくみたてよ、大鳥の神」 この和歌一首と神馬一頭を献じた。 明治初年大鳥大社大宮司富岡鉄斎翁の筆により建てられた自然石の碑です。 境内の南側を見る。 南側には鳳仙園があり、初夏には花菖蒲が咲き誇る。 ここ境内図があるのですが… 植栽が邪魔しているのと、掠れて良く見えなかった。 境内の東へ。 明治12年(1879)に境内に遷座した摂社大鳥美波比神社。 元は北王子村(現鳳東町4丁)にあった。 旧地付近の個人宅の庭に富岡鉄斎筆の「美波比神社旧地」の碑が建っているという。 明治42年(1909)に式内社押別神社・菅原神社4社を合祀。 また、大鳥美波比神社が建っている場所には、明治初めの神仏分離令まで神宮寺でだった大鳥山勧学院神鳳寺があった。 和泉名所図会より。 神鳳寺は、和銅元年(708)行基により開山。 江戸時代には真言律宗南方一派」の本山となり、畿内を中心に76寺もの末寺を擁した。 この頃、神鳳寺境内の片隅に大鳥大社がある感じだった。 大鳥美波比神社の南側。 日立造船殉職者慰霊塔の石碑が建つ付近に五重塔が建っていたとか。 大鳥美波比神社の北側には、火鎮大神、宗像大神、稲荷大神、織姫大神を祀る社殿。 参道は北へ。 参道は途中で東へ曲がる。 反対側の本殿側を見る。 和泉名所図会によると、かつては東に向いて大鳥大社社殿が建っていたようだ。 ここが表参道だったのかな? 脇に鳥居。 進むと社殿北側へ。 社殿北側には明神影向石(神石)を祀った祠がありました。 参道へ戻る。 参道を進み振り返る。 境内の森は、白鳥が舞い降りた際一夜にして種々の樹木が生い茂ったことから、千種の森(ちぐさのもり)と呼ばれている。 千種の森の中に池が見えた。 神鳳寺の池かな。 東鳥居。 JRの車窓から。 最後に御朱印。 酉の市神事に日に来れば違った印象だったかもしれませんが、ちょっと廃れて寂しい感じがした一の宮、大鳥大社でした。 次に境外摂社へ向かいます。 (つづく) |




