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(もどる) 1.神野神明社 所在地 三重県鈴鹿市山本町249-4 主祭神 天照大神、猿田彦大神 創建 不明 椿大神社から山本町の集落へ向けて進む。 近くに春泉堂がある十字路交差点をそのまま進む。 椿小学校を過ぎ、しばらく進むと南側に見えてきます。 鳥居。 境内の椿。 社殿。 付近にバス停もあります。 2.椿一宮神社 所在地 三重県鈴鹿市椿一宮町1605-10 主祭神 猿田彦大神 創建 不明 神野神明社からさらに真っ直ぐ進みます。 付近の町名は、山本町から椿一宮町へ変わります。 国道306号線(巡見街道)との交差点に社標。 巡見街道を北東へ進むと椿一宮神社があります。 鳥居。 右の狛犬。 左の狛犬。 社殿。 境内の椿。 3.愛宕神社 所在地 三重県四日市市水沢野田町1270 主祭神 愛宕大権現 創建 不明 椿一宮神社から県道115号線を北西に進み、県道11号線との交差点の手前にあります。 右の狛犬。 左の狛犬。 社殿。 近くの木の下にも社殿。 関係あるかどうかは解りませんでした。 4.小岸大神社 所在地 三重県鈴鹿市小岐須町916-1 主祭神 天之鈿女命、高御産巣日神 創建 不明 愛宕神社から県道11号線を南西に進みます。 春泉堂がある十字路交差点を通過し、さらに小岐須の集落に入ると参道が見えてきます。 近くには桃林寺があります。 説明板。 桃林寺の脇を進むと小岸大神社があります。 小岸大神社舊跡の碑。 かつては社殿がここにあったのかな? 一の鳥居。 二の鳥居と拝殿。 本殿。 5.石大神 所在地 三重県鈴鹿市小岐須町 主祭神 天照大神 創建 不明 小岐須神社から集落を南下。 小岐須渓谷の方に見えてきます。 近づけないので望遠で。 境外社まで廻ったら一日がかりでした。 (おまけ) 石大神からの帰り道。 遍照寺があります。 境内の様子。 桜はもう少しでした。 この付近に小岐須城があった。 登城日 2013年 3月23日(土)晴 難易度 ☆☆ 場所 三重県鈴鹿市小岐須町1028 縄張図。 (日本城郭大系より) 道路で寸断された土塁と堀切道。 道路から見る。 ここが大手口とも。 奥の竹林の中に遺構が残っているという。 振り返る。 『伊勢名勝志』によると、永禄年間(1558〜1570)に関盛信の弟小岐須盛光が居城し、その子盛経は織田氏に属したが、天正12年(1584)、羽柴秀吉に滅ぼされたと云う。 また、『亀城兎園記』には、小岐須常陸守が居し、息三郎四郎は横井市平(山本城)を討ったとしており、城は兵乱の折、焼失したと伝わる。 |
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(もどる) 境内図。 麓から見た入道ヶ嶽。 境内西側の道を進みます。 登山口。 案内図。 左の狛犬。 椿の参道を登って行きます。 愛宕社。 社殿。 愛宕社から参道の階段を見下ろす。 ここまではかなり急な坂でした。 さらに登って行きます。 途中、ロープにつかまって登る場面も。 登山口から約30分で北尾根4ポイント。 削平地のような場所。 城みたい。 登山口から約40分で北尾根5ポイント。 山頂まで1.3km地点。 登山口から約55分で北尾根6ポイント。 登山口から約1時間10分で北尾根7ポイント。 ようやく視界が開けた。 低木の森の中を進む。 登山口から約1時間20分で北尾根8ポイント。 登山口から約1時間30分で北尾根9ポイント。 視界が一気に開けました。 登山口から約1時間40分で北尾根10ポイント。 正面に鈴鹿山脈の鎌ヶ岳(標高1161m)が見えました。 振り返ると、入道ヶ嶽の頂上が見えてきました。 そして、登山口から約1時間50分で入道ヶ嶽頂上(標高906.1m)到着! ここで一休み。 ふぅ〰 何処から来たのかビーグル犬が近寄って来ました。 食べ物を持っていないと解ると去って行きました。 奥宮の鳥居。 小さな社標。 奥宮を望む。 奥宮へ向かう。 奥宮。 駒札。 奥の院から入道ヶ嶽頂上を見る。 また1時間半以上かけて麓まで下りました。 椿大神社から少し北東へ行った所に神饌田がある。 神饌田。 土塁に囲まれています。 麓から再び入道ヶ嶽を見る。 第二名神高速道路が建設されたら景色が一変してしまうのだろうなぁ。 夕暮れの入道ヶ嶽。 最後に境外社へ向かいます。 (つづく) |
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所在地 三重県鈴鹿市山本町字御旅1871 主祭神 猿田彦大神 創建 (伝)垂仁天皇27年(前3) 【椿大神社創立の由来】 伊勢国鈴鹿山系の中央麓に鎮座する椿大神社は、往古神代、神社の背後につづく高山入道ヶ嶽、短山椿ヶ嶽を天然のやしろとして、(神代の神跡いわくら現存)高山生活を営まれたクニカミ猿田彦大神を主神とし、相殿に皇孫瓊々杵尊・栲幡千々姫命を祀り、配祀に天之鈿女命・木花咲耶姫命を祀る。 神話に伝わる天孫・瓊々杵尊降臨の際、猿田彦大神、北伊勢道別の里なる地祇本陣を旅立ち給ひて天の八衛(あめのやちまた)に「道別の大神」として出迎え、風貌雄大、超絶した神威を以って恙なく天孫を高千穂の峯に御先導申し上げた事より肇国の礎を成した大神として、後に人皇第11代垂仁天皇の27年秋(西暦紀元前3年)倭姫命の御神託により、磯津(鈴鹿川)の川上、高山短山の麓、土公神陵の前方御船磐座辺りに、「道別大神の社」として社殿を造営し奉斎された日本最古の神社であります。 仁徳天皇の御代、御霊夢により「椿」の字をもって社名とされ現在に及び、昭和の初め内務省神社局の調査により、全国2000社の猿田彦大神を祀る本宮であることが明らかとなり、「地祇猿田彦大本宮」と尊称されております。 (現地パンフレットより) 椿大神社へは、JR四日市駅または近鉄四日市駅から三重交通バスに乗って行きます。 約1時間で到着。 バス停前に社標。 一の鳥居。 脇に「伊勢国一之宮 椿大神社地祇猿田彦大本宮」の碑。 進むと左側に庚龍神社。 由緒書。 内容は前述とほぼ同じ。 進む。 手水舎。 カエルが吐いておられました。 参道左側に獅子堂(交通安全祈祷殿)。 ここで境内案内図を貰う。 斜め右へ進めば行満堂へ。 真っ直ぐ進めば二の鳥居。 脇に境内図。 参道左側に御船磐座。 由緒碑。 中の様子。 参道右側に行満堂へ行く道。 祭事暦。 参道を進む。 三の鳥居。 別称「断わりの鳥居」。 左側の狛犬。 鳥居を過ぎて右側に恵比寿・大黒。 右側・大黒天。 左側・恵比寿神。 左側に土公神陵。 猿田彦大神の御陵。 進んで右側に別宮椿岸神社・茶室鈴松庵への道。 参道を進む。 四の鳥居。 拝殿。 お参りする。 拝殿左側に鉄砲柱。 奥に社務所。 参道を戻る。 獅子堂脇から行満堂へ向かう。 地蔵堂。 脇に石仏と五輪塔。 行満堂へ。 境内の様子。 椿立雲龍神社。 亀甲石。 教育勅語記念碑。 行満堂へ。 さざれ石。 奥に弓道場「椿自彊館」。 手水舎。 行満堂神霊殿。 境内を見渡す。 自然とアートが出会う場所。 末社松下幸之助社 説明板。 茶室鈴松庵。 由来碑。 大明神川を渡る。 椿岸神社の東側。 かなえ滝。 別宮椿岸神社へ。 由緒書。 吐いておられました。 招福の玉。 鳥居の西側に扇塚。 社殿。 社殿西側に御輿庫。 御輿庫の脇を進むと拝殿へ行くことが出来ます。 椿岸神社を後にする。 椿岸神社の社標と鳥居。 参道を戻る。 獅子堂前の広場へ。 椿。 境内を一周しました。 境内の西側を進む。 椿会館。 獅子舞発祥の社との説も。 (清瀬一郎弁護士顕彰碑) 奥の社殿へ。 摂社縣主神社。 由緒書。 最後に御朱印。 入道ヶ嶽へ向かいます。 (つづく) |
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所在地 三重県伊賀市一之宮877 主祭神 大彦命(敢國津神) 創建 (伝)斉明天皇4年(658) 【敢國神社略史】 当神社は今から1300年以上前に創建されました。 くわしくは、7世紀の中期、658年に創建されました。 創建当時は大彦命(おおひこみこと)・少彦名命(すくなひこなのみこと)の二柱で敢國神社が創建されました。 創建以前のお話になりますが、当社の主神である大彦命は、350年頃第8代孝元天皇の長子として大和国に生まれた方だとありますが、大和朝廷創建期の武人として、その子建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)と共に北陸東海を征討する役目を負われ、四道将軍の一人として、第10代崇神天皇の命を承け日本の東国の攻略を果たされた方です。 この大彦命が大和朝廷に帰服(第7代考霊天皇時)して以来、伊賀の国を本貫地として駐屯され、事実上の伊賀の領主であり、子孫は伊賀の国中に広がっていきました。 伊賀の国の阿拝(あえ)郡(現在の阿山郡は阿拝郡と山田郡が合併してできたもの)を中心に居住したため阿拝氏を名乗るようになり、後に敢・阿閉・阿部・安倍(あべ)と呼ばれるようになりました。 あべ氏の総祖神でもあると共に伊賀人の祖神でもあります。 古代伊賀地方には外来民族である秦(はた)族が多数住んでおり、彼等が信仰する神が当社の配神である少彦名命でありました。 当時は現在の南宮山頂上付近にお祀りしていましたが、創建時には南宮山より現在地に遷してお祀りして現在に至っています。 私達伊賀人はこの二神の混血の民族でもあります。 創建後、南宮山の少彦名命の社殿が山の下に遷された跡地は、新しい神社創建に当たっては混血の一族の有力者の人達の頭を悩ましたことであろうと思われます。 結局美濃国の南宮社の社神である金山媛命(かなやまひめのみこと)を、旧少彦名命のお社の跡地に勧請致しました。 この頃「南宮山」という名がついたのではないかと推測されます。 その南宮山の金山媛命が、敢國神社の本殿に合祀されたのは、創建時より319年後の977年のことです。 ある日突然金山媛の社殿が激しい音をたててゆれ、止むと同時に社前の御神木の幹に、虫食いの痕が文字となって現れ「興阿倍久爾神同殿」と言う8文字でした。 神官の報告を受けた当時の伊香守高則は、早速主家の藤原兼家に報告、直ちに神慮に従って金山媛命の遷座合祀が執り行われました。 こうして当神社は三神をもって敢國神社・敢國津大神(あえくにつおおかみ)となって現在に至っております。 少彦名命を主神とする秦族は、外来民族で色々な技術文化を伝えてくれています。 例えば伊賀の組み紐・伊賀焼・酒造などがあります。 また芸能にもみられ、鎌倉時代に盛んになった田楽の祖・観阿称は伊賀の出身者であります。 田楽が武士階級の娯楽に発達し、また同じ頃に獅子神楽が庶民階級で発達していきました。 当社に伝わる獅子神楽(三重県無形文化財指定)もこの時期に出来たものであろうと言われています。 現在伊賀地方各町で執り行われている獅子神楽の原型とも言われ、伊勢神楽にも多大な影響を及ぼしたとも言われています。 現在当社は伊賀国の一の宮として家内安全・交通安全・商売繁盛・厄除芸能祈願の御参拝者で伊賀地方の方のみではなく、愛知・岐阜・北陸・関東地方より多数参拝いただいております。 (現地パンフレットより) 関西本線に乗ってはるばるやって来ました。 伊賀国府跡でも訪れた佐那具駅下車。 駅から南へ向けて歩く。 柘植川を渡る。 渡った所にある府中神社。 若宮八幡宮が明治以後に他神社と合祀されて改称したもので、総社ではないそうです。 府中神社の手前を右折し、大和街道を進む。 西方寺の所を左折して、国道25号線を横断し南下。 この天守閣が見える所まで行くと行き過ぎです。 南宮山が見えてきました。 伊賀国府方面を見る。 千歳の交差点を通過。 付近の町名は一之宮。 あと500m。 最寄のバス停「一之宮」。 JR新堂駅前から伊賀市駅行きの三交バスが一日に3本走っている。 駅から歩くこと約40分、敢國神社到着。 表参道。 芭蕉句碑。 手ばなかむ おとさへ梅の にほひかな 御手洗。 先へ進めば末社大石社。 末社市杵島神社。 崇敬者会館脇の表参道を進む。 桜のつぼみ。 咲いているのもあった。 境内案内図。 扁額。 鳥居脇に後鎮座1300年記念碑。 境内へ入ってまずは東側。 手水舎。 手水鉢。 後神水について。 梅の花。 手水舎の奥に絵馬殿。 中の様子。 鳥居に戻って西側。 古代燈籠。 社務所・崇敬者会館。 一年安鯛みくじ。 境内の中心へ。 璽神。 御水神井戸。 桃太郎岩。 社殿へ。 右の狛犬。 左の狛犬。 狛犬を並べて見る。 拝殿。 拝殿内部。 拝殿裏に祝詞殿。 本殿東側に摂社六所社。 本殿と西側に摂社九所社。 境内を見下ろす。 洋風の燈籠。 大杉。 神饌所。 御輿蔵。 裏参道を西へ。 末社若宮八幡宮。 子さずけの神。 むすび社参道入り口。 登った所に楠社社標。 参道は東へ曲がる。 末社楠社。 むすび社。 裏参道へ戻る。 神明社。 末社大石社。 主な祭典のご案内。 裏参道入り口。 列格88年記念碑。 境内を一周しました。 南宮山へ向かう。 心細い山道を登って行く。 約10分で到着。 手水鉢。 末社浅間社。 石神さま?と三角点。 境内を見渡す。 麓を見下ろす。 南宮山を後にする。 最後に御朱印。 「あべ」姓の氏神、敢國神社でした。 なお、祭神大彦命の陵墓と伝わる御墓山古墳が佐那具駅の近くにあります。 |




