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登城日 2009年 8月 7日(金)晴 難易度 ☆☆ 場所 千葉県君津市下湯江字八崎
大名としての赤松氏は関が原の戦いで滅亡してしまいましたが、一族で旗本として残った赤松氏がいました。 石野赤松氏です。 石野赤松氏は上総国に3千石の領地を得、陣屋を構えたという。 1.旗本赤松(石野)氏 赤松氏の家号は、播磨国赤松郷を領して以来であるが、氏貞のとき同国石野に住し、これよりのち、代々石野を称した。その後、範恭のときにいたって赤松に復した。 氏満はのちに豊臣秀吉に仕え、故あって加賀国の前田利家に属した。その後、氏満の子氏置が文禄元年(1592)に家康にはじめてまみえ、近習に列して以来徳川氏と関係をもつようになった。市域に知行地をもつようになったのは、文禄4年(1595)、氏置が上総国天羽・周准両郡のうちで2,150石の采地を得て以来である。 2.赤松氏歴代 氏置は、幼少のころ外祖父(有馬)則頼のもとで養育されたが、則頼の取り持ちで、文禄元年(1592)家康の肥前国名護屋在陣のときにはじめてまみえ、召されて近習となった。はじめ義利といったが、のち八兵衛と称した。関ヶ原の戦いでは斥候の役を勤め、のち、その功により伊豆国修善寺において1,000石の地を加増されている。 慶長17年(1612)10月9日、39歳で亡くなり、市域の最勝福寺に葬られた。 氏置は、下湯江村の字八崎に下の屋敷(陣屋か)を置いたという。氏置の妻は佐貫藩主内藤家長の女である。また、下湯江の法厳寺は慶長19年(1614)に、氏置が妻の追善のために建立したものという。 氏置の子氏照は、慶長17年にわずが4歳で父の遺跡を継いだが、先に父親が賜った加恩1,000石の地は収公された。これ以降上総国の采地に住んだという。寛永3年(1626)5月3日には采地の朱印を受けている。幕府内では寛永4年、書院番、同10年には小姓組、16年に御徒の頭、承応2年(1653)には下田奉行などを勤めた。寛文10年正月8日に62歳で亡くなり、本人開基の品川了真寺に葬られた。了真寺はのち代々の葬地となった。また、正保元年(1644)宮下の了真寺を建立したという。 氏照以降、範恭、範主、恭富、範邑、範善、範忠、範静と相続された。 3.赤松氏の知行地 赤松氏は、氏置のとき、文禄4年(1595)上総国天羽・周准郡内で2,150石を賜り、慶長5年(1600)の関ヶ原の功により、伊豆国修善寺において1,000石を加えられ3,150石となった。慶長17年(1612)、氏照が遺跡を血継ぐと先の加恩1,000石の地は納められたが、寛永3年(1626)には上総国天羽・周准郡内で新田を合わせてすべて2,510石を知行し、市域の上湯江村・下湯江村・三直郷・浜子村・宮下村を知行している。 その後承応2年(1653)には相模国足柄郡内で300石を賜い、2,810石となり、寛文元年(1661)300石を養子則員に分知した。範恭の代の天和2年(1682)には上野国邑楽郡内で500石を賜い、3,010石余りとなった。 (君津市史より)さて、下湯江陣屋は何処にあったのか? 君津市史には地図は載っていませんでした。 しかし、下湯江字八崎は、昭和45年5月25日の千葉県告示第323号「君津郡君津町長から町の区域内の字の区域及び名称の変更について次のとおり定めた旨届出」によると、字八崎は地番1037〜1039まで、1041〜1045までとのこと。 地図を見ると、近い地番はこの辺でしょうか? 航空写真では、何となく堀跡があるような。 詳しい地図で見る コンビニ前からこの集落へ入って行く道を進むと、屈曲した部分があります。 横にはこんもりとした土盛りがありました。 まるで、虎口と櫓台みたいです。 (考え過ぎでしょう。暑さでどうかしてしまったようです。) 頂上には石碑が。 神社だそうです。 堀跡? 溜池のようです。 逆から。 西側の堀跡? 湿地みたいになっています。 この奥に陣屋があったのでしょうか? 民家の敷地っぽかったので、侵入出来ませんでした。 切岸がそれっぽいです。 陣屋跡から君津駅方面を見る。 ここは、前面が低地です。 川が流れているようです。 登って、家の下公会堂の北側あたり。 こちらの方が高台です。 その北西の家。 寂れたお寺っぽい家の廻りに土塁が見られました。 これは、陣屋の遺構なのか、このあたりの集落の特徴なのか。 (この他の家にも土塁で囲ったものがありましたので、おそらく後者では?) 家の下公会堂。 その横の神社には櫓台っぽい土盛が。 家の下公会堂の先から陣屋跡だと思われる方を見る。 木の向こうなのですが、見えません。 中華錦楽亭の所から入る。 南東から見る。 やっぱりこれ以上進む気になれません。 何か陣屋跡を示す碑でも無いかと探していたらこんなものが… 「是より西千葉県上総国君津郡飯(野?)」 余計混乱しました。 結局良く解りませんでした。 最勝福寺へも行きたかったのですが、体力的に無理でした。 |
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2009年08月09日
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