|
登城日 1回目 2006年11月 8日(水)晴 2回目 2009年 8月 8日(土)曇 難易度 ☆ 場所 栃木県宇都宮市本丸町 「ごめんねごめんねー」で話題の栃木県の首都、宇都宮にある宇都宮城へ行ってきました。 宇都宮城へは東武宇都宮線の東武宇都宮駅が最寄駅です。 詳しい地図で見る) 【宇都宮城の歴史・沿革】 [古代・中世] 築城年代は平安時代に遡る。藤原秀郷もしくは藤原宗円(宇都宮氏の祖)が築城したと言われる。 もともと宇都宮には宇都宮大明神(二荒山神社)が鎮座し、宗円は前九年の役に際して源頼義・源義家に伴われて奥州遠征に赴き、その功によって当社座主の地位と毛野川(鬼怒川)流域一体の支配権を与えられた。 以来、鎌倉時代から室町時代・安土桃山時代まで530年におよび国司・守護・関東八屋形に列せられ、宇都宮城は宇都宮氏の居城(居館)となり、北関東支配の拠点となった。 この頃の宇都宮城は中世城郭だったといわれる。 [近世] 戦国時代には後北条氏や日光山の侵攻を受け一時はその一派によって占拠されたこともあったが、小田原征伐に続く宇都宮仕置ではその舞台となり、豊臣秀吉に謁見するため奥州の大名らが宇都宮城に参城した。 宇都宮氏は所領を安堵され羽柴姓を授かるなど、秀吉との仲は良好であったが、慶長2年(1597)に突如改易された。 宇都宮氏改易後の慶長3年(1598)、宇都宮城には蒲生秀行が18万石で入り、日野町や紺屋町を造成して宇都宮城下の商業整備を進めた。 [江戸時代] 慶長6年(1601)12月28日には関ヶ原後の京警備で功を認められた奥平家昌が10万石で入り、かつて宇都宮氏の菩提寺の一つであった田川対岸にある興禅寺を再興するなど城下町の機能を復興した。 さらに元和5年(1619)、徳川家康の懐刀と言われた本多正純が15万5千石で宇都宮に入り、宇都宮城と城下の改修を行った。 縄張りを拡張して新たな郭を設け、本丸など城郭周囲を掘削し湧水を張って幾重の水濠とし、掘削で生じた土を高く盛り上げて土塁とした。 こうして正純は宇都宮城を近世城郭とする一方、城下の日光街道と奥州街道を整備して町割を行い、城内の寺社群(延命院、長楽寺など)を街道沿いに再配置するなど城下の防御能を向上させると同時に、城内に将軍宿泊所となる本丸御殿を建設し、また宇都宮宿の宿機能・駅機能を整備するなど日光社参に関する設備向上を促進した。 この大改修工事の結果、宇都宮城下は城下町、門前町、宿場町の各機能を持つ都市に再編された。 宇都宮城改修に際し、正純は幕府の意向に順じ宇都宮城に天守は設けず2層2階の清明台櫓を天守の代わりとしたが、正純の意に反して宇都宮城改修にまつわる正純謀反の噂が流布され、元和8年(1622)に正純は改易された(宇都宮城釣天井事件)。 正純時代の3年間は宇都宮城下に大きな変化をもたらし、正純によって再編された都市基盤は近代都市・宇都宮市の礎となった。 その後、奥平氏、奥平松平氏、本多氏、奥平氏、阿部氏、戸田氏、深溝松平氏と譜代大名が城主としてこまめに入れ替わった。江戸時代後期には戸田氏が6-7万石で治め、幕末を迎える。 [近代] 宇都宮は明治元年(1868)戊辰戦争の戦地となり、宇都宮城の建造物は宇都宮の町並み共々焼失した(宇都宮戦争)。 明治23年(1890)には城郭一帯が民間に払い下げとなり、荒廃した城跡の形跡は益々失われていった。 戦後、日本政府による戦災復興都市計画の策定に伴い、昭和21年(1946)10月9日には宇都宮市も戦災都市に指定され、城跡の遺構は撤去され市街地へと生まれ変わった。 昭和30年代頃までは現在の東武宇都宮百貨店近辺にも大きな水濠が残存していたが、衛生上の事情を理由に埋め立てられた。 (wikipediaより)今回は、18きっぷを利用したため、JR宇都宮駅から歩きました。 駅前の道を真っ直ぐ西へ歩いていきます。 途中で見つけた川柳。 笑ってしまった。 間もなく選挙ですね。 二荒山神社。 当初、宇都宮は当神社の門前町として栄えたという。 宇都宮の地名の由来でもあるという。 当社の神職として土着したのが、藤原氏の一族宇都宮氏である。 宇都宮城へは、二荒山神社付近を南に下ったところにあります。 城下復元図。 関東七名城と言われた宇都宮城でしたが、残念ながら市街化により殆ど消滅してしまいました。 現在は、本丸周辺他、僅かに残るのみです。 まずは、本丸址にある宇都宮城址公園へ向かいます。 最近、本丸の一部が復元されました。 復元の様子は下記HPを参照。 http://www.utsunomiya-jo.jp/index2.htm 鉄筋コンクリート造の土塁の上に櫓が2つ。 まずは富士見櫓。(前回のもの。復元工事中) 斬新な復元ですね。 本丸西側(前回のもの。復元工事中) 堀もちゃんと復元されています。 逆側を見る。 清明台櫓。 宇都宮城の天守的存在だった。 正面から。 宇都宮城址公園の説明。 堀の説明。 このあたりに清水門がありました。 今は、土塁が無くなり説明板が建つのみです。 説明板。 かつての様子。 向こう側が清水門。 手前が伊賀門。 現在の本丸の様子。 微妙です。 本丸の碑。 本丸の東側は何も無い。 本丸が高い位置にあったことがわかる。 下ったところに上蓮池があった。 本丸東側は、城址公園っぽく造ってある。 今だったらこんな中途半端な造り方はしないと思う。 本丸南側には伊賀門があった。 説明板。 贈従三位戸田忠恕之碑。 説明板。 南から富士見櫓を見る。 南から本丸を見る。 本丸土塁の中は、「宇都宮城ものしり館」と「まちあるき情報館」になっている。 土塁の中の活用方法としては斬新ですが、土塁が鉄筋コンクリート造りで空洞なのは微妙です。 土塁の表面が鉢植えを並べているのもさらに微妙です。 城址公園が出来るまで。 宇都宮城の模型。 宇都宮城の移り変わり。 御成御殿と釣天井伝説。 歴代城主一覧。 戊辰戦争と宇都宮。 それでは、本丸土塁へ登ります。 (つづく) |
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2009年08月15日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]






