|
場所 東京都港区三田1丁目
赤松氏一族である摂津有馬氏の江戸上屋敷は、港区三田1丁目付近にありました。 下記地図の台形の形が、そのまま屋敷の敷地の名残です。 約2万5,000坪あったそうです。 詳しい地図で見る 特に屋敷跡を示す碑は見当たりませんでした。 近くの公園にあった案内板。 大正時代には、済生会病院と専売局の倉庫敷地になっていたようです。 大江戸線赤羽橋駅が最寄駅。 地上に出ると東京タワーが目の前。 赤羽橋の下を流れる古川。 上流は渋谷川となる。 赤羽橋の柱。 かつては木橋だった。 敷地跡には三田国際ビルが建つ。 西隣には済生会病院。 建物は建て替えられ近代的になっているが、明治時代から存在する。 かつての専売局倉庫の敷地跡には国際医療福祉大学三田病院が建つ。 その背後には段差が。 屋敷は傾斜地にあったんですね。 屋敷の西側にある神明坂を登る。 説明板。 石垣には折れが。 車こすっちゃいそう。 元神明宮。 【由緒】 社伝によると、寛弘2年(1005)に一条天皇の勅命により創建され、渡辺綱の産土神であったことから、多くの武人に崇敬されたという。 また、江戸時代に徳川将軍家の命により神体や神宝が飯倉神明(現芝大神宮)に移されることになったが、氏子・崇敬者の熱意により境内に神体を隠し留め、これを昼夜警護したとも伝えられ、「元神明宮」と称して、藩邸が隣接した有馬氏を始め、広く衆庶の崇敬を集めたという。 大正の関東大震災や昭和の東京大空襲等の災厄から氏子・崇敬者を守ったとされたことから、厄除けの神としても崇敬を受け、平成17年(2005)9月には、「御鎮座壱千年」の記念事業を行った。 相殿の水天宮は、文政元年(1818)有馬家藩邸の邸内社として、筑後久留米の水天宮から分祀されたもので、安産の神、水の神として崇拝されて来たが、明治元年(1868)に有馬邸が青山に移転するに際して、その分霊を相殿として奉斎することになった。 (ちなみに、青山の有馬邸内社の水天宮は、更に日本橋蛎殻町に遷座され、現水天宮となった) (wikipediaより) 百度石。 このあたりの石垣は古そう。 福知山城みたいに、墓石が入っていない? 入っているでしょう! 元神明宮。 何という近代的な神社。 神社から見下ろす。 隣りにあった水天宮は、現在日本橋へ移転している。 有馬小なんていうのもありますね。 詳しい地図で見る 【由緒】 久留米の水天宮は久留米藩歴代藩主(有馬家)により崇敬されていたが、文政元年(1818)9代藩主有馬頼徳が江戸・三田の久留米藩江戸屋敷に分霊を勧請した。 これが江戸の水天宮の始まりである。 藩邸内にあったため一般人の参拝が難しかったが、あまりの人気に応え、毎月5の日に一般開放され、「情け有馬の水天宮」という地口も生まれたほどであった。 明治4年(1871)有馬家屋敷の移転とともに赤坂に遷座し、翌明治5年(1872)有馬家中屋敷のあった現在の日本橋蛎殻町二丁目に移転した。 (wikipediaより)水天宮は、安産・子授けの神として人々から厚い信仰を集めていて、境内は妊婦や子供を授かりたい夫婦あるいは無事出産できた夫婦などが、安産や子授かりの願掛けやお礼参りなどでごった返している。 戻って、神明坂を登りきる。 屋敷の南西隅にあたる。 屋敷の南面。 この立派な建物は簡易保険事務センターだそうです。 大学かと思った。 屋敷外ですが、向かいには綱町三井倶楽部があります。 佐土原藩藩邸跡で、敷地内には長屋が現存するそうです。 ちょっと寄り道。 綱町三井倶楽部の東側には綱坂があります。 羅生門の鬼退治で有名な平安時代の武士、渡辺綱の生誕地という。 案内図。 何と、赤穂浪士大石主税以下切腹跡がありますね。 イタリア大使館職員宿舎の敷地内のようです。 イタリア大使館。 イタリア人に友人がいないと奥まで入れないですね。 中には碑が建っているとか。 断念。 イタリア大使館の敷地内にある倉庫。 屋敷の名残でしょうか。 その南は慶応大学。 ここも、知力と財力が無いと入れない。 このあたりのマンションは、地域に溶け込もうとしている努力が見受けられます。 屋敷跡に戻り、南側には綱の手引坂があります。 坂の途中には赤羽小学校があります。 【有馬猫騒動】 久留米藩主8代有馬頼貴の代のこと。 酒宴の席に迷い込んだ子猫を追って、犬が宴席に入り込んできました。 子猫を不憫に思った女中、関屋は犬を退治し、その働きが認められて殿様に気に入られます。 名前も関屋からお滝の方と改め、殿様の寵愛を受けたのですが、同じ女中から嫉妬され、イジメを受けてしまいます。 特に老女の岩波のイジメが酷く、お滝の方は悩んだ末に自殺してしまいます。 お滝の方に仕えていた女中はこれに怒り、岩波に敵討ちを挑みます。 しかし、岩波は薙刀の名手であったため返り討ちになりそうになるのですが、そこに怪獣が現れ、岩波を喰い殺してしまいます。 怪獣の正体はお滝の方が救って可愛がっていた猫でした。 その後この猫は変化し、殿様の愛妾になりすましたり、といった様々な悪事を働いた末、退治されてしまいます。 後のたたりを畏れた久留米藩は、江戸の藩邸に怨念を慰めるための猫塚を建てました。この中に猫塚があるという。 当然、確認出来ませんでした。 綱の手引坂を東から見る。 屋敷の東南隅にあたる。 この道路は拡幅されるようです。 出来るんですかね。 屋敷跡の東側。 国道1号線が通る。 一周しました。 敷地内には、何かあったかも知れません。 何も見つけられなかったのが残念です。 |
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2009年09月23日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]






