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登城日 1回目 2009年 9月 5日(土)晴 2回目 2009年10月12日(月)晴 難易度 ☆ 場所 京都府京都市上京区堀川下立売北西周辺 教科書にも出てくる聚楽第。 最近では上越で屏風が見つかったとか。 一体どこにあったのか、今はどうなったのか。 見に行ってきました。 場所は、北は元誓願寺通、南は押小路通、東は堀川通、西は千本通の間とされる。 詳しい地図で見る 現在の地図に当てはめるとこんな感じとか。 (転載不可) 【聚楽第について】 聚楽第は豊臣秀吉の京都における邸宅として,内野(うちの,平安京大内裏旧跡)に建築されました。 秀吉は,天正13(1585)年関白に任官すると,翌年から聚楽第の造営を始め,同15年に完成しました。 聚楽とは「長生不老の楽しみを聚(あつ)」めるという意味です。 「じゅらくてい」とも読みます。 聚楽第の構造は,北は元誓願寺通(もとせいがんじどおり),東は堀川通(ほりかわどおり),南は押小路通(おしこうじどおり),西は千本通(せんぼんどおり)を外郭とし,内郭には本丸を中心に北ノ丸,南二ノ丸,西ノ丸の曲輪(くるわ)が築かれていたと考えられています。 しかし,徹底的に破壊され,そのうえ全面的な発掘調査が不可能なので,正確な範囲はわかっていません。 発掘調査の結果,幅30メートルを超す大規模な堀がめぐらされていたことがわかっています。 堀の外には武家屋敷が配置されました。 如水町(にょすいちょう,黒田如水<くろだじょすい>)や浮田町(うきたちょう,宇喜多秀家<うきたひでいえ>)など町名にそのなごりを留めています。 天正16(1588)年,聚楽第に後陽成天皇(ごようぜいてんのう)が行幸し,秀吉はその場で諸大名から誓紙を取り,政権の基盤固めを行いました。 同19年,秀吉は甥の秀次(ひでつぐ)を関白に就任させ,聚楽第を譲りましたが,文禄4(1595)年秀次を自害に追いやると,聚楽第も破却しました。 その遺構の一部は,当時造営中だった伏見城に移されました。 聚楽第の跡地では,勧進能が行われ,芸能興行の場となりました。 その後,次第に人家が立ち並び,聚楽組(じゅらくぐみ)と呼ばれる上京の町組の一つとして編成されました。 町屋から運び出される塵芥で聚楽第の堀は埋められ,その地に聚楽蕪菁(じゅらくかぶら),聚楽(じゅらく,堀川<ほりかわ>)牛蒡(ごぼう)などの京野菜が作られました。 また,聚楽第跡地の地下から得られる茶褐色の土は聚楽土(じゅらくつち)と呼ばれ,土蔵の壁土として利用されてきました。 現在では茶室などの最高上塗専用土として使われています。 (京都市HP「フィールド・ミュージアム京都」より) まずは、堀川通中立売から本丸へ向かう。
地名が小寺町(黒田氏は一時期小寺氏を名乗っていた)、如水町(黒田官兵衛)、飛騨殿町(蒲生氏郷)など、それらしい町名が並ぶ。 中立売通大宮北西角に石碑あり。 聚楽第の東濠跡を示す。 ここから西が本丸。 本丸にはマンションが建ち並ぶ。 ユニクロがあります。 その先には餃子の王将もあります。 好調な企業の店舗には人がたくさんやって来ます。 現代の天守閣でしょうか。 南へ下る。 東堀町という町名がありました。 梅雨の井の標識。 家の裏にあった。 解りにくいし、立ち入り禁止になっている。 説明板。 聚楽第本丸の東南隅に当たる。 草茫々で薄気味悪い。 その南には南二の丸があった。 南二の丸へ架かっていた鵲(かささぎ)橋旧跡。 薄くて良く読めません。 付近は家が建て込んでいて、良く解りません。 マンションの建設現場があり、地下一階分くらい掘っていましたが、覗いてみるも何も解らず。 辰巳児童公園内には、このような碑がありました。 京都にも空爆があったのですね。 南を見る。 何となく凹んでいるような。 西にある松林寺へ向かう。 ここは聚楽第南外濠跡に当たる。 濠跡のように凹んでいる。 駐車場の壁。 本物の石垣かと思いました。 西へ歩いていく。 西にも大きな外濠があったという。 駐車場にあった石垣。 本物っぽいなぁ。 北の延長線上の土屋町通は濠跡という。 坂の途中の石垣。 本物っぽい。 中立売通へ出る。 道を挟んで北は西陣京極。 西陣織りが盛況な頃は、ちょっとした歓楽街だったらしい。 今は人通りもまばらなようだ。 千本通りを挟んで南西には千本日活が残る。 今でも日活なんてあるんですね。 以前、終電に乗り遅れて寒さしのぎでこのような映画館に入って寝ようと思ったら、寝れなかったことがあったなぁ。 話が脱線したので、戻します。 土屋町通を中立売通から見る。 中立売通を土屋町通から見る。 向こうに、さきほどのユニクロが見えたのですが、写真だと見えないですね。 中立売通を進む。 正親小学校に碑が建つ。 まず、唐津小笠原藩邸跡。 平安京大蔵省跡。 聚楽第と平安京内裏は重なっている。 聚楽第築城時に平安京の遺跡は大分破壊されてしまったことだろう。 聚楽第址の碑。 聚楽第の本丸西濠跡に当たる。 説明板。 今度は北へ行ってみる。 本丸の北には北ノ丸があったという。 特に石碑は無かった。 知恵光院通には、また濠跡のような凸凹。 この通りの横は凄く凹んでいる。 このような段差がある。 横には石垣が。 ライオンズマンションの裏には石垣が。 本物っぽい。 東側の大宮通まで来ると段差は無い。 付近には、大名屋敷が建ち並んでいたとか。 上杉景勝屋敷跡。 黒田官兵衛の屋敷跡を示す石碑は見つからなかった(建て替えとともに、無くなったのでは?)。 またまた、上杉景勝と直江兼続屋敷跡。 天地人ブームですね。 さて、聚楽第の建物がいくつか残っているという。 まず、上京区にある妙覚寺の大門。 聚楽第の裏門という。 大徳寺の唐門。 行ったけど、拝観停止だった…。(涙) 山口県萩市にある常念寺にも裏門が移築されている。 知らなかった…。 醍醐寺唐門。 これも聚楽第の遺構という。 そして、西本願寺飛雲閣。 これも聚楽第から移築したものという。 めったに見ることが出来ない。 しかも、撮影禁止。 執念で覗いてみる。 鐘の向こうに見える。 鐘に登れば見えるのに、立ち入り禁止になっている。 残念! 警備員から「閉めま〜す!」の掛け声。 已む無く退散。 帰りがけに振り返ると…
知らなかった。 すごく悔しいです。 次は何年先になることやら。 名残惜しいですが、日没になりましたので、帰ります。 |
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2009年10月13日
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