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登城日 1回目 1990年頃 2回目 2009年10月11日(日)晴 難易度 ☆ 場所 兵庫県姫路市飾磨区中浜町2丁目
播磨三大城(三木城・御着城・英賀城)の一つである英賀城は、山陽電鉄網干線西飾磨駅とJR山陽本線英賀保駅の間にありました。 詳しい地図で見る 【英賀城の概要】 岩繋城(いわつなぎじょう)ともいう。 南は海、西は夢前川、東は水尾川に面し、北は湿地帯で、守るのに大変つごうのよい城であった。 鎌倉時代には、とりでが、造られていたが、室町時代になると播磨の守護大名であった赤松氏の一族が守った。 しかし、嘉吉の乱(1441年)によって勢力を失った後、三木氏が城主となって城をさらに整えた。 天正八年(1580)秀吉に滅ぼされるまで約140年間三木氏は、的形から室津の間を中心にその周辺を支配し一大勢力を誇っていた。 城内には本丸・二の丸をはじめ、一族が、それぞれ大きな屋敷を構えた。 また、英賀御坊をはじめ多くの真宗寺院、商家や住宅が建てられ、交易の盛んな港のある城下町(四十九町・約九百軒)として大いににぎわった。 (現地説明板より)英賀保小東隣にある公園にあった案内図。 英賀保めぐり一覧表。 本丸跡にあった英賀城の縄張図。 本丸部分をクローズアップ。 英賀城の概要。 山陽電鉄網干線西飾磨駅から本丸へ向かって西へ歩く。 水尾川を渡ったところに広辻口があった。 (この日はJR網干駅から歩き始めたので、この時は日没してしまった。) 入ると二の丸があった。 宅地化して痕跡無し。 その西側には堀内館があった。 ここも痕跡無し。 南側には本丸があった。 石碑が建っている。 二の丸の北側に行ってみる。 広辻口の北側に芝之口があった。 溝は堀跡の名残のようだ。 土塁の上に家が建っているようで、家は道より高い。 このあたりに駒芝口があったのだろう。 その先の井ノ上口。 説明板。 このあたりに井上館があった。 平面図を拡大。 平面図によると、第2山下ハイツは西徳寺跡で、第1山下ハイツは土塁跡に建っていることになる。 反対側は道と民家は外堀跡ということになる。 この民家の南側には土塁が僅かに残っている。 また、三木氏一族の墓がある。 (日没寸前で薄気味悪かったです。) 西へ行ってみる。 大木口の先にある大木之濠跡。 北側には河下口跡。 河下口から道が西に向かって曲っている。 まさに、英賀城の外堀と重なる。 このあたりに北辻口があったのだろう。 岡芝口。 ここから土塁が残存。 英賀神社の境内となっている。 英賀神社説明板。 境内から土塁を見る。 境内の敷地が途切れると、土塁も消滅。 英賀神社の北側にある英賀城跡公園には本物かと見間違えるものが造られている。 天守台にも見えるが、遺構では無い。 何でこんなもの造ったんだろう? 公園の西側には野中口があった。 西側の矢倉公園には山科口があった。 JR英賀保駅へ。 このあたりの地名は「付城」といい、出城があったところ。 碑が建っていたそうだ。 駅前の説明板。 解説部分を拡大。 前回来た時は、何も無いなぁ〜と感じた。 今日も10分で訪城は終わると思っていた。 あれから城を見る目が大分養われたようだ。 一杯あるやん… 時間が足りなかった。 |
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2009年11月02日
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