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登城日 2009年11月23日(月)晴 難易度 ☆ 場所 三重県四日市市茂福町字里の内 「しげふく」かと思ったら「もちぶく」って読むそうです。
読めないなぁ〜 茂福城は、近鉄名古屋線沿いにあります。 最寄駅は、近鉄富田駅かJR富田浜駅です。 詳しい地図で見る 【茂福城の概要】 近鉄名古屋線の富田駅と霞ヶ浦駅の中間の軌道東側に位置し、城跡を標示する石柱と最後の城主茂福盈豊(みつとよ)の碑が建てられています。 この碑文によると、貞冬という人物が越前朝倉氏のもとにいましたが、応永年間(1394〜1428)の乱を避けて当地に移り、地名に因んで茂福氏を名乗ったとされます。 また、朝明川上流の保々に城を構えていた朝倉氏は、その同族といわれています。 「伊勢軍記」によれば、永禄三年(1560)に茂福氏は羽津城の田原氏と合戦に及び勝利したとあり、その七年後に城主朝倉盈豊は、長嶋で織田信長の家臣である瀧川一益に謀殺されたとあります。 その際、斬られた主人の首を家臣の小川宗春が奪い取り、朝明郡保々(朝倉氏の本拠地)に葬ったといわれます。 この時の戦いで茂福城は落城したとされます。 昭和52年の発掘調査で、外堀の一部とされる遺構や土器、山茶碗などが見つかりました。 (四日市市HPより)近鉄名古屋線の線路を挟んで北から見る。 城址碑が建っていました。 この土盛りは本丸の北西隅にあたるそうです。 説明板。 梛の木はご神木だそうです。 (ご神休に見えるなぁ〜) 茂福掃部盈豊の墓標が建っていました。 周辺に城跡らしき遺構は見当たりませんでした。 茂福城さようなら。 城址碑の東にある茂福神社。 応永2年(1421)建速須佐男命と天照大神を祀る。 祭祀を引継いだ城主茂福盈豊が永禄10年(1567)伊勢長島城で謀殺され落城。 その後盈豊の遺志は受け継がれ祭祀を続けられ、茂福の産土神となったという。 そのさらに東にある證圓寺。 最後の城主茂福盈豊の末裔が住職を務めていたという。 山門。 本堂。 浄土真宗本願寺派だそうです。 お決まりの太鼓楼は見かけなかった。 最後にお決まりのマンホール。 安藤広重の「東海道五十三次」四日市宿の絵をデザインしたマンホール。 解りにくい絵だなぁ。 市の花サルビアをデザインしたマンホール。 つまらない絵だなぁ。 四日市市は「市」という字が2つも重なってややこしい。 コンビナートが建ち並ぶ最近出来た工業の町かと思ったら、歴史ある町のようです。 東海道沿いですし。 一度ゆっくり散策してみようかな? |
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2009年12月09日
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