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登城日 1回目 1990年春 2回目 2009年12月27日(日)曇 難易度 ☆☆ 場所 兵庫県赤穂郡上郡町苔縄
【苔縄城の概要】 苔縄集落の西にそびえる標高400mの高峰の頂上にある小さな平坦地が苔縄城である。 三方が山続きで、東側山麓に千種川が流れ、かつて旧因幡街道が通っていた。 平地からの比高も大きく、山頂が近づくにつれて岩場もあり、要害の地としての条件を備えている。 城主は『太平記』に「赤松円心則村」とある。 円心は大塔宮護良親王の令旨を持って都から帰った子則祐の勧めで、一族に奮起を促し、「赤松城に集まる」ように伝えたといわれる。 その時の赤松城とは、この苔縄城である。 しかし、『播磨鑑』には「赤松円心の三男則祐は元徳3年(元弘元年、1331)に大塔宮の令旨を受けて、ここに城を築き、義兵を挙げて軍功があり、領国安穏であった」と記されている。 また別説として「城主ハ伊豆守祖妙善入道トモ」、あるいは「一説、則祐感状山ニ居住ノ後、又、此城ヲ築キ居ス」、さらに「子息義房其譲ヲ受ケテ居住ス」など、さまざまに記されているが、『太平記』が記すように、初代城主は赤松円心(則村)とするのが正しいようである。 山頂の城跡には横8m×縦22mの平坦遺構が残っている。 この平地は1mの段の上にあって、周りが一段低く、幅1mの平坦地が周囲を取り巻いているのみで、歴史上有名な割には簡単で貧弱な構造である。 砦跡とも考えられるし、また短期間しか使用されなかったとも考えられる。 山麓にある赤松則村が建立した赤松氏の氏寺「法雲禅寺」が、この山城の「館跡」であり、則村の「赤松城」は、その館、つまり法雲禅寺跡と推定される。 (日本城郭大系より)苔縄城は、赤松氏の初期の本城である白旗城の西に位置し、駒山城の北に位置する愛宕山の山頂にありました。 詳しい地図で見る 駒山城北麓から見た苔縄城。 東から見た苔縄城。 最寄駅は智頭急行苔縄駅です。 こんな所に駅があって大変便利です。 是非とも、智頭急行に乗りましょう! 駅の案内図。 大鳥圭介の生誕地が近くの山奥にあるとか。 駅から見た苔縄城。 前回同様、山頂には登らなかった… 山麓の居館跡である法雲寺へ向かう。 法雲寺の門前にある筆塚。 説明板。 かたわらの法雲寺の説明板は消えかかっている… 【法雲寺の概要】
播磨国守護として勢力を誇った赤松円心によって、建武4年(1337)に建てられた赤松氏の菩提寺です。 境内には、円心自らの手で植えたといわれている、樹齢700年余りで高さ35m、枝の広がりが東西23.5m、南北22mの巨木「ビャクシン」(県指定天然記念物)が、枝を幾重にも広げてそびえ立っています。 (上郡町HPより) 法雲寺へ向かいます。 境内に説明板がありました。 これが本堂かな? 誰もいない… 大きな木がビャクシン。 説明板。 その奥にある円心堂。 赤松円心の像があるのだが、開いてなかった。 残念です。 隣にある赤松小学校。 ここの生徒が、第4回「城の自由研究コンテスト」で文部科学大臣奨励賞を獲ったそうです。 題は「僕たち私たちの校区、赤松にあった2つの城(苔縄城・白旗城)について」 おめでとう! この小学校の裏に、苔縄城への登城道があるそうです。 (おまけ) |
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