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登城日 1回目 1990年春 2回目 2009年12月27日(日)曇 難易度 ☆☆ 場所 兵庫県佐用郡佐用町上月
戦国時代の播磨の歴史を語るうえで上月城を抜きには語れません。 【上月城の概要】 現在2ヶ所の城跡を上月城と呼んでおり、その一つが(太平山)上月城、その南側にある城を(荒神山)上月城といい、現在私たちが上月城と呼ぶのは(荒神山)上月城のことです。 この城は上月氏が築城したと伝えられ、嘉吉の変(1441)で山名氏により、天文年間(16世紀前半)に尼子氏の播磨進出により落城、永禄年間(16世紀後半)頃には毛利氏の支配下に組み込まれていたと伝えられますが、この頃までの上月城に関しては資料が少なく、城主や城について詳細なことを知ることは出来ません。 そして後世に知られるいわゆる「上月合戦」はこの後起こることになります。 【上月合戦の概要】 この合戦は天下統一のため播磨へ進攻を始めた織田信長と、中国地方に勢力を張り、足利義昭を庇護する毛利輝元との衝突のはじまりともいえる戦いであり、このような攻防は上月が播磨・美作・備前の三国の境に位置するという立地的な重要性があったためと考えられます。 天正5年(1577)織田信長は羽柴秀吉等に播磨進攻を命じます。 播磨に入った秀吉は各地の武将を味方につけていきますが、毛利方に通じていた上月城主・赤松七条(政範)は従わなかったようです。 そのため秀吉は11月佐用郡に入り、27日には福原城を落城させ翌28日に上月城を取り囲みます。 そして12月3日に城に攻め入り上月城を落城させます。 この後秀吉は上月城に尼子勝久、その配下の山中幸盛(鹿介)等を置きます。 さて前線の城を失った毛利氏は直ちに奪回の動きを見せ、翌天正6年(1578)4月18日、吉川・小早川の軍が上月城を取り囲みます。 秀吉も救援に向い5月4日高倉山城に陣を置いて毛利軍と対峙しますが、少し前に三木城の別所長治が毛利方へついたため秀吉は両方に軍を向けなければならない状況になっていました。 結局信長は撤退することを命じ、6月26日秀吉は姫路書写山に退去します。 そして孤立無援となった上月城は7月5日、尼子勝久等の切腹を条件に開城しました。 なお、この後も織田方と毛利方は中国地方で睨み合いを続けることになりますが、上月城はこれ以後歴史の表舞台に上ることはありませんでした。 (上月歴史資料館説明板より)上月城はJR姫新線上月駅からすぐです。 中世では交通の要衝だったようですが、智頭急行が佐用川沿いを走らずにトンネルを通って直接佐用駅へアクセスしてしまったため、現在ではその機能を失ってしまった。 列車の本数が少なく行くのが大変。 詳しい地図で見る 駅の南側にある(太平山)上月城。 登っても何もないとのことで飛ばします。 そのもう一つ南側の山が(荒神山)上月城。 (ややこしいので、以下上月城とは(荒神山)上月城のことを指すことにします。) まずは、登城口にある上月歴史資料館でお勉強。 ここで、上月城の縄張つきのパンフレットがもらえます。 あると無いとでは大違いです! 必ずGETする事。 上月城のすがた。 登城口前の説明板。 競馬も役立っているんだなぁ〜 しばらく登ると最初の小さな平坦地に到着。 休郭? 堀切。 良く解らない。 上から見る。 やっぱり解らない。 小さな曲輪が一つ。 もう一つ。 草茫々で何だか解らない。 そして、もう本丸。 本丸にあった説明板。 東に仁位山城が僅かに見えた。 秀吉に攻められ滅ぼされた七条赤松家の赤松政範の供養碑。 七条赤松家は赤松円心の長男範資を祖とする。 京都七条に屋敷があったことから七条殿と呼ばれた。 赤松惣領家の家系は範資の後、三男則祐に移ってしまったが、赤松義村の代に復帰。 赤松政範は義村の孫にあたるという。 西播磨殿と呼ばれ、この地域一帯を支配していたようだ。 本丸の南側にも数段の曲輪があるようだったが、草茫々なので断念。 二の丸へ向かう。 二の丸の切岸。 二の丸。 二の丸からは利神城がちょこっと見えた。 登城禁止なのにこんな説明板まで作って!(怒) 行きたいなぁ〜 さらに先へ進む。 郭跡を示す看板。 堀切。 また堀切。 振り返る。 何だか良く分からず下山。 城下には尼子勝久の供養碑が建つ。 尼子氏好きの人にとっても、この城は特別な城。 山陰の雄だった尼子氏が滅亡したところだからです。 山中鹿之助追頌之碑。 有名な割には小さくて特に城跡もはっきりしない。 歴史とともにすっかり埋没してしまったようだった。 (おまけ) 城下にあった「赤松圓心公廟所」の碑。 赤松村にある廟所(法雲寺のことかな)を示すもの。 何でここにあるのかなぁ? その裏にはこんな立派な家がありました。 裏には堀のようなものも見られました。 家の前には、「明治維新志士立石孫一郎生誕の地」と書いてある。 立石孫一郎は、何故か長州藩第二奇兵隊のリーダーとなり暴れまわったという。 この屋敷の裏、(太平山)上月城の麓に宝篋印塔がある。 南北朝時代中期のものらしい。 最後に、お決まりのマンホール。 上月は、花しょうぶとホタルの名所だったようです。 ふれあの里 上月 特産物直売所
評価 ☆☆☆ 2時間に一本しか列車がやって来ない上月駅。
駅員がいない無人駅です。 寂しい駅ですが、駅舎は特産物販売所を兼ねている。 結構人がやって来ていました。 その中に喫茶コーナーがあり、食事も出来るようになっています。 味噌煮込みうどんを注文。 味噌は、上月の特産物であるらしい。 立ち食いではありませんが、番外編として掲載しました。 |
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2010年01月15日
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