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登城日 1回目 1995年頃 2回目 2009年12月26日(土)晴 難易度 ☆ 場所 兵庫県西宮市桜谷町 越水城の最寄駅は阪急神戸線夙川駅か、JR東海道本線さくら夙川駅です。 詳しい地図で見る 【越水城について】 目の前の小高い丘は観応2年(1351)足利尊氏と弟直義が戦った小清水の陣所跡で、瓦林正頼は永正13年(1516)ここに越水城を築城しました。 いまの町名では城山・桜谷・満池谷・清水の4町にまたがり、その広さは南北約200m・東西約100mで小清水城あるいは越水城といわれていました。 ここは西国街道の要衝で、城にかかせぬ水にも恵まれた築城の適地でした。 この城は、一説には天守閣もあり外堀を備え、人びとを住まわせた西宮には、城下町のようなふんに気があり、「おおよそ目を驚かす風情」で、摂津では他に例がなかったようです。 応仁の乱に始まる戦国時代初期、城主正頼は細川氏の内紛に高国方につき、四国より京にのぼる澄元を迎えうって敗れ、その上澄元に内通したとして切腹、死後澄元の家臣三好氏が入城しました。 天文2年(1533)には瓦林と一向一揆が三好を攻めて城をうばい返し、瓦林の一族が城を守りますが、さらに攻防を繰り返されて、ついに畿内の覇者三好長慶の居城となり、彼は家臣松永久秀を京に止めて越水城で指揮をとりました。 永禄9年(1566)時の城主四国阿波の篠原長房は、瓦林三河守に攻められ、一旦開城しますが4日後に復活、9月には足利義親(のちの足利幕府14代將軍義栄)が入城しましたが、11年に織田信長の入洛により、越水城の戦略的価値が消えました。 それから330年を経た明治29年((1896)12月、この城跡に大社尋常小学校の新校舎が建ち、中村地区から移転した3学級210名の児童が勉強を始めました。 深い緑の木立につつまれた新しい学校は、大阪湾をへだてて摂津・河内・和泉や紀伊の山やまを望む素晴らしい環境に恵まれた学校でした。 しかし、時代と共に発展する大社村(昭和8年4月西宮市に合併)の小学校としては狭くなり、大正7年(1918)11月現在地に移りました。 最早越水城は遠い思い出ですが、戦国の世以来こんこんと清水が湧き、城や地名のもととなった3ヶ所の泉こそ越水城を語りつぐ証人として大切に保護したいものです。 (現地説明板より)辿り着いた時には、すっかり日没寸前になってしまいました。 大社小学校の南東隅に城址碑と説明板が建っています。 城址碑。 説明板。 これによると、城址は大社小学校の東(石碑の手前)にあったようです。 天守台まであったと云われていますが、付近は閑静な住宅街になっており良く解りません。 あまりウロウロしていると、間違えられそうなので早々に退散。 城址付近から大社小学校を見る。 ここが切岸なのかな? かなりの高台です。 西宮市街が一望出来ました。 あっという間に日没してしまったので、帰宅の途につきました。 越水の名の由来となった小清水が残ってるそうですが、見れなくて残念でした。 (おまけ) お決まりのマンホール。
マンホールを撮った時と、越水城と20分も違わないのに… この季節の日没は本当に早いです。 甲子園球場のようですね。 上の建物は何かな? |
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2010年01月31日
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