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登城日 2010年 5月 4日(火)曇 難易度 ☆☆ 場所 秋田県仙北市角館町古城山 シダレザクラで有名な武家屋敷の北に位置する古城山(別名小松山)にあった城です。 詳しい地図で見る 【角館城の概要】 応永31年(1424)、戸沢氏は北浦郡の門屋城から角館城へ移った。 居城移転には諸説があり、『戸沢家譜』には、戸沢氏重臣で小松山城主の角館能登守が上浦郡の小野寺氏と通じて謀叛を起こしたので、戸沢家盛がこれを討って小松山城を開城させ、後に居城を移転したとある。 その後、戸沢氏は北浦郡内の国人領主の仙北前田氏、本堂氏、楢岡氏を傘下に組み込んだ。 天正年間に活躍した当主戸沢盛安は、「鬼九郎」(夜叉九郎)の異名で呼ばれた。 関ヶ原の戦い後の慶長7年(1602)、北浦郡を去った戸沢氏に代わり入部した蘆名義広(盛重)が角館城主(城趾は古城山(ふるしろやま)となり、現在の角館の元となる町割を行った。 元和元年(1615)の一国一城令発令に伴い元和6年(1620)に廃城となった。 のちに城主は麓の屋敷に居住し、防衛のための町割りを行ったとされている。 明暦2年(1656)、蘆名氏が断絶すると佐竹義隣が出羽長野紫島城から角館へ入部し、以後明治まで続いた。 現在、角館城南側一帯は蘆名氏や佐竹氏家臣たちによって造られた侍屋敷が建ち並び、「みちのくの小京都」と呼ばれている。 (wikipediaより)桧木内川から見た古城山。 武家屋敷街から国道46号線を東へ少し進み左折します。 ここからひたすら登って行きます。 登城路左手にあるグランデールガーデン大安閣の裏には、土塁っぽいものと石垣が見えました。 本物かな? 古城山の登城路途中には七色稲荷神社があります。 車で来られる方は、(仮称)駐車場曲輪に停められます。 桜が満開の季節は、下の駐車場が満杯なので、ここに停めるのもいいでしょう! 穴場です。 その先の(仮称)お手洗い曲輪。 民謡の碑が建っています。 民謡の発展を願い、昭和60年5月に建立された。 その下の古城山公園。 ここは、蘆名氏の居館があった処かな。 土塁の跡かな。 古城山公園から古城山を見上げる。 古城山公園の東側にあるこの建物は、少しお城っぽかった。 先へ進みます。 角館城址碑がありました。 このまま車道を進んでも主郭へ行けますが、本来の登城路を進みましょう! 古城山公園を見下ろす。 よそ見には注意です! 周りも良くみて登りましょう。 中腹にある東屋。 東屋から角館の街を見下ろす。 主郭を見る。 主郭から東屋のある曲輪を見下ろす。 登った所に姥杉があります。 主郭の様子。 お墓のような城址碑。 「中世仙北の雄、戸沢氏の居城。 戸沢氏13代家盛が門屋城からこの地に移り(1424)、21代政盛が常陸に移る(1602)まで居城とした。」 と書いてある。 角館城主郭を振り返る。 帰りは車道を下りました。 主郭にある姥桜。 途中、小さな曲輪がいくつか見られました。 角館城の斜面。 かなり急です。 主郭の切岸。 下の曲輪から主郭を見る。 古城山にはソメイヨシノが200本植えられているが、まだつぼみだった。 城下のシダレザクラは満開なのに… もと来た登城口へ戻りました。 角館城の東に位置する城廻交差点。 戸沢氏時代は、この国道46号線を少し北に行った田沢湖小松字本町に城下町があった。 その後入部した蘆名氏が城下町を南に移し、現在の角館町の武家屋敷街を造った。 一旦は伊達氏によって会津の地を失った蘆名氏でしたが、この地でお家再興を目指したものの、承応2年(1653)に蘆名千鶴丸が死去したことにより蘆名氏は断絶してしまった。 その後、佐竹氏の分家である佐竹北家の佐竹義隣が角館に入り、以降明治まで11代続いた。 (おまけ) 武家屋敷街の外れにある常光院。
佐竹北家の墓地がある。 お薬師堂。 角館のお祭りはここのお祭りでもあるのですね。 蘆名氏の菩提寺であった天寧寺に行き忘れてしまった… 今度角館に来た時には行ってみたいと思います。 |
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2010年05月29日
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