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登城日 2010年 5月29日(土)曇 難易度 ☆ 場所 静岡県静岡市清水区江尻町14-63 駿河侵攻後に武田氏が築城した駿河国の拠点です。 詳しい地図で見る 【江尻城の概要】 昔この江尻小学校および中部電力清水営業所の敷地周辺に江尻城(小芝城)がありました。 戦国時代駿河国とを治めていた今川義元が、永禄3年(1560)尾張国の桶狭間で織田信長の奇襲にあい戦死した後、永禄11年(1568)12月甲斐国の武田信玄は駿河に攻め入りこの地を占領しました。 翌年信玄は東の北条氏・西の徳川氏に対抗するため、蛇行する巴川を利用して急いでここに城を築きました。 10年後の天正6年(1578)城将であった穴山梅雪は、城を大改築して高層の楼閣を建て「観国楼」と名付け、江尻を城下町とする本格的な城となりましたが、天正10年(1582)3月西から攻めてきた徳川家康に降伏して江尻城を明け渡しました。 その後家康が江戸に移るとともに、豊臣氏・徳川氏と城将が代わりましたが、慶長6年(1601)城ができてから32年を経て廃城となりました。 城があったことを物語るように本校の周辺の地名(小字名)として、櫓・本丸・東二の丸・西二の丸・硫黄堀・薬研堀・近習小路・桜小路・代官小路等がありました。 明治42年(1909)この地を所有していた本郷町の望月健吉氏は小公園を造り、江尻城のあったことを記念してこの「小芝城之碑」を建てました。 大正12年(1923)小公園に工場が建設されるため、小芝八幡宮の境内に移され72年を経て元あった本校の校内に、平成7年3月に移設されました。 (清水江尻小学校内説明板より)最寄駅は静鉄入江岡駅です。 北へ真っ直ぐ進みます。 やがて巴川に架かる稚児橋に差しかかります。 稚児橋説明板。 当初は江尻橋と名付けられたのだが、渡り初めの日に川から童子が現れたことから稚児橋となった。 童子は河童ではなかったのかとの伝説が残っています。 また、この石は駿府城築城時の残念石だそうです。 右岸に江尻城がありました。 対岸から見た江尻城。 右岸へ行ってみる。 ここに江尻城の説明板がありました。 説明板。 これは助かる。 そして、本丸跡に清水江尻小学校が建っていることが解りました。 校庭より校舎が一段高くなっていました。 北側の道にも坂がありました。 この辺りの小字は「櫓」 観国楼が建っていたのでしょう。 ちょっと北へ行ってみる。 国道一号線の走っているこの辺りの小字は「硫黄堀」 空堀だったのかな? 東を見ると、交差点名は「二の丸」 遺構はありませんが、この付近の町名は二の丸町。 由来を説明する説明板。 校門の名はずばり「本丸門」 学校の敷地の南側に城址碑と説明板が建っています。 あちこち移転し、ようやく本丸へ帰って来た小芝城之碑。 ここにもある江尻城復元図と小字名。 多少の高低差くらいしか解りませんでした。 東へ行ってみる。 この辺りは外堀だったようだ。 この辺りは三の丸。 三の丸に鎮座する小芝八幡宮。 武田信玄が小芝城(江尻城)内に移したと云う。 入り口に清水江尻小学校から移設された江尻城の説明板が建っています。 これでもかー! という感じです。 清水エスパルスの選手もお参りしていました。 三の丸の東に大手門があったのでしょう? 地名として残っています。 城内には何も建物が残っていないのが残念。 「くら寿司」が櫓に見えてきました。 何も残っていないのですが、丁寧な説明板があるので、想像を掻き立てられました。 (おまけ) |
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2010年06月10日
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