三日月の館 2

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勝山城(上野国)

登城日 2010年 4月10日(土)晴
難易度 ☆
場所   群馬県前橋市総社町植野

赤松能亮の居城

こんなところにも赤松氏一族がいました。

詳しい地図で見る

イメージ 1

【勝山城跡】
この城は、赤松氏の居城(砦)で、応安4年(1371)築城されたと伝えられている。
応永34年(1427)赤松能亮の時、姓を関口と改姓したという。
大永5年(1525)関東管領の上杉氏・長尾氏の居城である総社要害城(蒼海城)の支城となり、関口清房が在城した。
永禄9年(1566)長野氏の箕輪城落城後、武田氏の攻略により落城し廃城となった。
勝山城は、元景寺の北西に位置し、総曲輪は約4kmにわたる縄張りを持っていた。
廃城後、北条氏康の領有するところとなり、この地(上野郷や高井郷)が瀬下豊後守に宛行われた。
慶長12年(1607)総社領主秋元長朝によって総社城の一部に取り入れられたが、勝山城の遺構は、勝山小学校の北西部に一部を残し、ほとんどが利根川に崩落した。

平成21年3月吉日
総社地区史跡愛好会

高崎駅から上越線に乗り換えます。
上越線を走る115系。
今どきこのような懐かしい電車に乗れるのは嬉しいです。
しかも、よく整備されています。
素晴らしい!
イメージ 2

高崎駅から4つ目の群馬総社駅で下車。
イメージ 3

駅にあった案内板。
勝山城は、群馬総社駅の東に描かれています。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/89/a1/kanezane2/folder/607784/img_607784_12545431_87?1274959270_
元景寺を目指します。
途中にあった石垣。
イメージ 4

城の遺構かと思いましたが、個人宅でした。
天狗岩用水を渡ります。
このあたりから城域に入って行きます。
(天狗岩用水については、総社城の記事で説明します。)
イメージ 5

勝山城址に建つ元景寺。

所在地  群馬県前橋市総社町植野150
山号   氣雲山
宗派   曹洞宗
本尊   釋迦牟尼佛、脇侍、文殊菩薩、普賢菩薩
創建   天正5年(1587)
開基   秋元景朝

山門。
イメージ 6

参道には梅が植えられています。
(この梅については最後にご説明します。)
桜も満開できれいでした。
イメージ 7

参道脇にある供養碑。
イメージ 8

この地が、利根川に悩まされ続けたことを物語っています。
イメージ 9

境内には幼稚園が併設されています。
よってでしょうか、お参りするにも断らなければなりません。
イメージ 10

しかし、本堂は開いておらず、断ることも出来ません。
どうなっているのでしょうか?
イメージ 11

本堂脇には、天満天神宮(左側)と羽階権現堂(右側)が鎮座しています。
羽階権現堂には、大天狗・小天狗が奉られています。
五千石堰用水(天狗岩用水)の守り神として信仰を集めています。
(この件についても、総社城の記事で説明します。)
イメージ 12

本堂の裏に墓地があります。
元景寺は、天正15年(1587)にこの地を拝領した秋元長朝が、父景朝を供養するため建てた寺です。
墓地に秋元景朝が眠っています。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/89/a1/kanezane2/folder/607784/img_607784_12545431_88?1274959270_
秋元景朝の墓。
イメージ 13

この墓地の北側に勝山城の中心があったと云う。
イメージ 14

墓地の北側を流れる川は、五千石堰用水といい勝山城の堀跡を利用したものと云う。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/89/a1/kanezane2/folder/607784/img_607784_12545431_90?1274959270_
勝山城址の東側は畑になっており、遺構は全く解らなかった。
イメージ 15

西側へ行ってみると…
イメージ 16

何か掘ってます。
ヒドイ(怒)
イメージ 17

ただでさえ利根川によって、城のほとんどが流失してしまったのに、さらに残存部分も無残な姿。
説明板が、かつてここに上野国の赤松氏の居城であった勝山城があったことを示すのみです。
イメージ 18

何か遺構が残っていないかと周辺を散策。
墓地の西側に空堀っぽい窪みが。
イメージ 19

墓地の東側に土塁っぽいものが…
イメージ 20

反対から見るとこの状態。
まさか遺構を破壊しているとか。
(掘っちゃうくらいだから解りません)
残土を盛っただけかな?
イメージ 21

結局、城のことも、赤松氏のことも、良く解りませんでした。

(おまけ)

おまけというか、こちらの方がメインでしょう。
元景寺の説明板。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/89/a1/kanezane2/folder/607784/img_607784_12545431_91?1274959270_
由来のところを落ち着いて読むと…

「浅井長政公の息女(淀君)の墓があります。」

と書いてある。

あの淀君の墓がこんなところに 何で?

先ほどご紹介した秋元景朝公の墓所。
イメージ 22

その東側にある墓が、淀君の墓との言い伝えがあるそうです。
イメージ 23

寺伝によると、
【淀君伝説】
元和元年(1615)大阪夏の陣、豊臣秀頼の母、淀君が落城のとき城をのがれ徳川方の秋元の陣に助けをもとめ、長朝が総社に帰るとき淀君を籠に乗せて木曽路を通り信濃路の高原で休息、足もとの小さな一本の紅梅を取りこの地まで運び寺の参道に植え、地名を植野原と呼んだ。
その後人家が立ち並び原がなくなり現在の「植野」の地名として伝えられています。
淀君とは呼べず「お艶(えん)様」と呼んだと言われています。
現在、利根川対岸(敷島町)公園にお艶ヶ岩が伝説として奉られています。(お艶観音)
(元景寺パンフレットより)
ということらしい。
寺には、淀君が乗ってきたお籠の扉と、淀君が着ていた打掛が伝わっている。
残念ながら、それらは毎年秋に行われる「総社秋元歴史まつり」の時に公開されるそうです。
本日はお寺の方に無理を言ってさわりだけ。
多分あの中に入っているのでしょう。
イメージ 24

御朱印。
イメージ 25

住職は多忙の為、お寺を開けていないそうです。
御朱印も事前に書いた紙でした。
(それでも300円です。)

さて、その後の淀君はというと、何不自由無く暮していたのですが、過去の悲しい出来事が忘れられず、ついに岩から利根川の激流に身を投げてしまったと云う。
元景寺の対岸にある敷島公園。
イメージ 26

ここに、お艶(淀君)が身投げしたと云う岩に観音像が建てられている。
イメージ 27

説明板。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/89/a1/kanezane2/folder/607784/img_607784_12545431_92?1274959270_
もう一度アップ。
イメージ 28

秀頼を想っていたのでしょう。
(秀吉ではないだろうなぁ〜)
赤松氏の史跡に飛びついて思わぬ発見でした。

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