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登城日 1回目 2000年 9月10日(日)晴 2回目 2010年 8月28日(土)晴 難易度 ☆ 場所 大阪府岸和田市岸城町9-1 最寄駅は南海本線岸和田駅です。 岸和田駅前商店街のアーケード。 「岸和田城とだんじり祭り」 南海本線の線路沿いを和歌山方面へ進むと、岸和田駅南交差点に到達する。 ここは外堀跡。 北へ進むと城見橋交差点。 付近を流れる古城川の石垣。 当時のものかどうかは解りません。 城見橋から南西を見る。 道路が外堀。 そしてこの正面に東大手門があった。 東大手門付近の長屋門っぽい家。 市立図書館。 城っぽい。 石垣は当時のものではありません。 現存する武家屋敷。 非公開なので、外から覗くしかありません。 武家屋敷の前には堀があった。 堀は埋め立てられたが、切岸が見えた。 ここには門があった。 模型で説明いたしますと、手前の東大手門から入り、二番目の堀の土橋の所です。 模型には「東取垣(切)」と書いてある。 この辺りは三之曲輪。 塀の辺りに堀があった。 三之曲輪の「別寅かまぼこ」の城内寮。 別寅かまぼこは岸和田に本社を置くかまぼこメーカー。 立派ですね。 岸城神社。 所在地 大阪府岸和田市岸城町11-30 主祭神 天照皇大神・素盞嗚尊・品陀別命 創建 正平7年(1362) 沼天神の縁起によれば、正平17年(1362)沼の長、沼将監は京都八坂神社より牛頭天王社を勧請し、氏神として邸内に祀った。 これが天神宮の始まりである。 将監の父が病気になった時・平癒を祈願して霊験があったので、村人は参拝させてほしいと頼み込み、為に村人に開放された。 その後同社に天照大神、八幡大神が別社として祀られるようになった。 慶長元年(1596)小出播磨守が、天神宮を岸和田城内に分祀して城の守護神とし神明社といった。 明治初年浜の各町、本町、南町、北町の小社をこの宮に合祀し、社名を岸城神社と改めた。 また、岸城神社の奥まった所(今の戎殿の右側)に宮寺として、天台宗東叡山寛永寺の末寺「日光寺」があった。 小出氏城主の時、同郷(但馬国出石)のよしみで、沢庵和尚がたびたびこの寺を訪れている。 牛頭天王は仏教系の神様で祇園天神ともいわれ、水神としても信仰され、やがて疫病(病気の神)を支配する神となり、庶民から絶大な信仰をあつめた。 神道では牛頭天王は五穀豊穣を司る倉稲魂神といわれ、厄除けの神になった。 素戔鳴尊とも結びついて、五穀豊穣、厄除けの神になった。 (「岸和田城下めぐり」より)鳥居。 手水舎。 ミニ岸和田城。 また鳥居。 本殿。 ちぎり(千亀利)。 縁結びと心願成就の神という。 本殿裏の御神馬。 その裏に岸和田城三之曲輪の土塁が残存。 境内には堀と石垣の一部も残存。 最後に御朱印。 東中門跡から二之曲輪へと進む。 岸和田城本丸がようやく見えました。 南東から見る。 よく残ったものです。 素晴らしい! 内堀に沿って、二之曲輪の石垣が残る。 南西から見る。 西から見る。 土橋を渡り二の丸へ。 土橋から二の丸を見る。 元々は、ここが本丸だったそうです。 ここには御殿が建っていました。 今は心技館(武道場)が建つのみ。 (現存ではありません) 刻印石があったらしいが、見落としました。 本丸へ。 復興櫓門。 岸和田城址碑。 岡部氏記念碑。 模擬天守群。 本来は五重の天守閣だった。 (つづく) |
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2010年09月10日
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