|
(もどる) 小天守から入城。 天守内部の様子。 天守から北東を見る。 手前のグランドが二之曲輪。 天守から南東を見る。 手前の岸和田高校も二之曲輪。 天守から南を見る。 手前の屋敷は新御茶屋跡。 現在、「がんこ岸和田五風荘」となっている。 天守から南西を見る。 手前の駐車場付近が、二の丸が本丸だった頃の馬出し跡で、鐙堀に囲まれていた。 こんな感じ。 天守の鬼瓦に市長の名前が刻んであった。 天守から北西を見る。 眼下が二の丸。 遠くに六甲山脈が見えた。 本丸を見下ろす。 「八陣の庭」 昭和の作庭。 天守閣を出る。 天守台の石垣。 搦手口かな。 行っちゃう。 降りちゃう。 内堀を見る。 向こう岸は、岸城神社から東中門跡通って二之曲輪に入って来た辺り。 足元付近には釣り具が散乱していました。 わんわん! 犬走りが一部沈んでいました。 犬走りなんて今治城みたいですね。 築城に藤堂高虎が関係しているのかな? 戻る。 不気味な柵。 開いているうちに急いで戻る。 本丸隅櫓では写真展「なつかしの城下町」をやっていました。 なかなか良かったです。 もう一度振り返る。 天守閣は一つの建物で、岡山城と同規模だったとか。 造り変えたら、知名度アップするのでは。 本丸を出る。 本丸の南西側へ行ってみる。 この辺りが、先程見下ろした二の丸が本丸だった頃の馬出し跡。 鐙堀があったが、埋め立てられている。 五風荘。 京都二条の山懸有朋の別荘跡も買い取ったがんこ寿司。 大躍進ですね。 由来。 昼なら1,500円以下。 これなら入れそう。 蛸地蔵駅。 南欧風の西洋館で、ステンドグラスを持つ。 この辺りは三の丸。 堀跡に沿った商店街。 三の丸神社。 所在地 大阪府岸和田市岸城町30-3 主祭神 猪尾権現・黄籏大明神・白髭大明神 創建 延元元年(1336) 由来。 【三の丸神社由来】 当三の丸神社は、延元元年(1336)に和田正儀公が初め城の守り神として城の中に建てられたのが起こりである。 後、中村一氏、小出播磨守、松平周防守などの世を経て、寛永17年(1640)旧藩主岡部宣勝公が入城後、これを三の丸へ移されたので、三の丸神社といわれるようになった。 元禄14年(1701)岡部長泰公が、五穀豊穣、民の安全を祈願され、倉稲魂神・瓊々杵尊・伊弉冉尊を山城の国より御勧請され、後又寛政9年(1797)岡部長備公が天地無躬、四方安全を祈願されて黄籏大明神・猪尾権現を併せ祀られた。 その時、佐藤英晴に宮司を命ぜられ以来、明治維新後も引続き佐藤家が奉仕を委ねられて今日に至っている。 又、その後明治年間に伏見稲荷より白髭大明神を勧請し合祀した。 平成4年12月吉日 盥漱盤。 元禄16年9月27日の刻字が背面に彫られている。 小さな社殿。 しかし、侮るなかれ。 ここは岸和田だんじり祭り発祥の宮。 また、社殿からは昭和10年に岡部元信が持ち帰ったとされる今川義元の兜が出てきたと云う。 初期のだんじりが飾られている。 こんな感じ。 由来。 【「岸和田だんじり祭り」の由来】 元禄14年(1701)9月、時の藩主岡部長泰公が五穀豊穣・領民の安泰を願って、当三の丸神社に京都伏見稲荷を勧請してから3年目、元禄17年改め宝永元年(1704)幕府の命で施工した大和川付替大工事のとき、これが完成したのが奇しくも三の丸稲荷祭の9月27日であった。 領民たちは二重のお祝いに大喜び、大和川土運び用の車(巾83糎、長165糎位)に太鼓を乗せて城入りし、藩主の御前で様々な芸をして柷ったのが大いに喜ばれ、以来二百九十余年の今日まで城下町の伝統文化行事として受け継がれ発展してきたのであって、「だんじり」に「地車」の漢字を当てるようになったという説もある。 平成8年3月吉日 三の丸史跡保存会 |
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2010年09月11日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]



