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(もどる) 本丸の様子。 (南島原市HPより) 本丸門脇の破城の跡。 説明板。 本丸から出土したもの。 本丸西側の櫓台跡。 説明板。 天守閣が建っていたのかもしれない。 櫓台跡から見た本丸西側。 石垣が残る。 破城の跡が見れるが、完全には行われなかったようだ。 有明海がきれいに見えました。 南300mの白洲には世界で3ヶ所しか見ることが出来ない「リソサムニューム」という植物が繁殖しているという。 やっぱり日本は素晴らしいなぁ。 本丸にある十字架塔。 天草四郎時貞。 天草四郎時貞の墓碑。 説明板。 佐分利九之丞の碑。 説明板。 本丸を振り返る。 さようなら原城。 池尻口門跡から出る。(前回のもの) 説明板。 スロープが付いて石段が見えなくなった。 前回はこんな感じだった。 石垣が良く残る。(前回のもの) 本丸北側を進む。 本丸北側高石垣。 本丸から見た高石垣。(前回のもの) 詰之丸から桝形虎口へ戻る。(前回のもの) 蓮池跡と二の丸を見る。(前回のもの) 埋められた内隅部石垣が出土したもの。 瓦も一緒に出土した。 本丸桝形虎口へ戻ってきました。 田町門から下城。 城壁跡。(前回のもの) 説明板。 内馬場跡。 有馬時代の乗馬練習場だったと云う。 内馬場跡から本丸櫓台を見る。 田町門跡。(前回のもの) 田町門跡から続く道。 左側に天草丸があった。(前回のもの) 幕府軍12万5千の軍勢を相手に、一揆勢3万7千が3カ月籠城し、攻防を繰り返したと云う。 寛永15年(1638)2月28日、幕府軍1万数千人、一揆勢3万7千人余の死傷者を出し終わりを告げた。 城下には、島原の乱10年後に供養塔が建てられた。 最後まで纏わりついていた 南有馬小学校前からバスに乗って帰りました。 帰りのバスの車窓から見た風景。 南島原市役所前。 何だあれは… 「みそ五郎」という伝説の大男。 11月には、みそ五郎まつりが行われるという。 どんな祭りかな。 (おまけ) |
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2010年09月25日
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登城日 1回目 2007年 8月 9日(木)晴 2回目 2010年 8月 5日(木)雨のち晴 難易度 ☆☆ 場所 長崎県南島原市南有馬町乙 3年前は島原駅から島鉄に乗って行きました。 しかし平成20年4月1日に島原外港⇔加津佐間が廃止になってしまいました。 よって、島原駅から加津佐海水浴場前行きバスに乗って行きました。 1時間に1本くらい走っています。 浦田観音バス停下車。 まずは、縄張図。 今は左下にいます。 説明板。 参道。 脇に甬道。 原城攻撃の為に幕府軍が造った穴。 籠城側の農民は、生葉をいぶし、糞を注いで撃退したと云う。 浅間神社。 階段に注意! 帰りの石段で思いっきり尻餅をつきました。 さらに東へ進み、原城温泉真砂を右折。 ここが大手門跡です。 説明板。 大手門跡から入城。 振り返る。 この辺りは三の丸。 真直ぐ行くと二の丸。 右へ曲ると原城入口バス停。 寄り道して右へ行ってみる。 原城跡の看板。 コワ〜イ! 三の丸の石垣が残る。 近づいてみる。 困るなぁ〜 立派な石垣。 門でもあったのですかね。 石垣の裏に板倉重昌の碑がある。 説明板。 【板倉内膳正重昌の碑】 延宝9年(1681)造 寛政9年(1797)11月建立 将軍家光の命に依り、征討軍の統師として寛永14年12月9日着陣、12月10日、20日総攻撃したが、農民・信者の勢いが予想以上に強く久屯の計を採った。 然るに江戸では、12月27日老中松平信綱を統師に任じた事を12月29日兄重宗の書によって知った。 重昌寄手が退いたのを大いに怒り、槍を採って先頭に進み城に迫ったがついい胸部に銃弾を受け壮烈な 戦死を遂げた。 齢51歳。 乱後350年の今、板倉温故会のご努力とご厚意により、板倉家縁りの地、三河の銘石に刻し墓碑いかかわる事実を後世に伝えるためこの碑を建立する。 重昌辞世の歌 あらたまのとしにまかせて さくはなの なのみのこらば さきかけとしれ 昭和62年 南有馬町教育委員会 今度は
戻って二の丸へ進む。 二の丸から田尻門方向を見る。 有明湾が見えた。 二の丸はひまわりがいっぱい! 二の丸はかなり広い。 振り返る。 この二の丸の広さから、島原城に匹敵するくらい(またはそれ以上の)大きな城だったことが解る。 二の丸から本丸を見る。 二の丸から土橋を渡って本丸へ進む。 両側は深い空濠で守られていた。 説明板。 振り返る。 本丸へ進む。 ホネカミ地蔵。 説明板。 ホネカミ=骨をかみしめる=自分自身のものにする=人々を救済する という意味。 本丸虎口の石垣。 複雑で大きな虎口。 南へ直角に曲がる。 虎口入口を振り返る。 また東へ直角に曲がる。 『コ』の字形の逆に曲がったことになる。 本丸櫓台石垣が見えた。 東へ進む。 まもなく本丸に到達。 本丸西側の石垣。 本丸虎口。(前回のもの) 大きな門があったのかな。 本丸から見る。 説明板。 ようやく本丸。 原城は、日野江城を居城とする有馬氏の支城だったと云う。 これだけの虎口はなかなか見当たらない。 支城とは信じがたい大きさだった。 (つづく) |
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