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登城日 1回目 1995年 夏 2回目 2010年 9月 5日(日)晴 難易度 ☆ 場所 福井県敦賀市金ヶ崎町 金ヶ崎城は『太平記』に「かの城の有様は三方は海によって岸高く、巌なめらかなり」。とあり、南北朝時代には尊良・恒良親王を奉じて北陸に下向した新田義貞軍が足利軍と戦い、戦国時代には織田信長が越前朝倉攻めのおり戦があった山城で、この時近江の浅井氏の裏切りにより織田信長は窮地に陥り、木下藤吉郎(羽柴秀吉)が殿を務めて無事帰京できたと伝えられる。
(現地案内板より) 案内板。 手筒山城から下りて来たところに、かつて一の木戸がありました。 説明板。 ここで激戦が繰り広げられたと云う。 竪堀。 120m進むとニの木戸があった。 説明板。 ここでも激戦が繰り広げられたと云う。 南へ降りて行くと金崎宮がある。 西へ進む。 今来たニの木戸を振り返る。 焼米出土地。 織田朝倉の激戦で倉が焼け、中にあった焼米が出土したところ。 さらに進むと三の木戸があった。 説明板。 こんなところに水の手があったと云う。 また竪堀。 月見御殿跡広場に到着。 金ヶ崎城の本丸跡です。 月見御殿跡広場に建てられている金崎古戦場碑。 一画に古墳があります。 櫓台に使われそう。 説明板。 石がごろごろ。 崩れた石垣かと思いました。 岩山なんですね。 月見御殿跡の説明板。 戦国の世に月見をしたとは風流ですね。 月見御殿跡の先端。 月見御殿跡の碑が建つ。 見下ろすと足がすくむ。 火力発電所建設の為に削られたのかな。 断崖絶壁でした。 絹掛ノ崎が見えました。 落城の際、恒良親王が人目を避けるため、御衣を巌上の松の枝に掛けて脱出したという。 現在、絹掛の松は枯れてしまっている。 月見御殿跡を振り返る。 鷗ヶ崎の方へ下りて行く。 途中に尊良親王墓所見込地がある。 尊良親王墓所見込地。 落城の際の自刀の地ではないかと見られている。 尊良親王墓所見込地の下には… かつて金崎宮があった。 今は、尊良親王墓所見込地の東側に移転している。 鷗ヶ崎。 海中に突き出た岬だったが、今は周囲が埋め立てられてその面影が無い。 鷗もやって来ない。 また、絹掛ノ崎が見えました。 絹掛松説明板。 こんなところに説明板があるなんて思わないですね。 花換の小道を進む。 金崎宮の南側に、また金ヶ崎城趾の碑が建っていました。 金崎宮 所在地 福井県敦賀市金崎町1-1
主祭神 尊良親王・恒良親王 創建 明治23年(1890) 御由緒。 また鳥居。 拝殿。 本殿でお参り。 境内に金ヶ崎城と手筒山城の模型がある。 説明板が数枚あり、金ヶ崎城の歴史が学べます。 信長の妹お市の方は、浅井氏の裏切りの危機を知らせるため、両方を紐で結んだ袋に小豆を入れて陣中に届けたという。 もし、知らせが無かったら… 信長、秀吉、家康はどうなっていただろうか? 秀吉が無事殿(しんがり)を務めたため、後に「秀吉の退き口」などといわれ、撤退の見本と称された。 この戦いが、信長・秀吉・家康にとって天下取りへのターニングポイントになった。 最後に御朱印。 おまけでキティちゃんとコラボ。 秀吉が難関突破した場所が、いつの間にか恋の難関突破にご利益があることになり、『恋の宮』として女性が沢山訪れるという。 また、「男女が花(桜)を交換すると幸せになる」という言い伝えから、桜が満開になり季節には花換まつりが行われるそうです。 京は残暑厳しい季節でしたので、誰もいませんでした。 金崎宮を後にしました。 麓から金ヶ崎城を見る。 城自体は今一つ良く解らなかったが、2回も激戦が繰り広げられた重要な場所だと解りました。 桜咲く季節に来たら良かったかな… |
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2010年10月05日
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