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(もどる) 角に石碑が建っています。 碑を拡大。 「蓮如上人南殿御舊地」 と書かれています。 外環を渡った音羽伊勢宿町内に「蓮如上人御指図の井」があります。 正面から。 説明板。 超能力者ですね。 覗いてみる。 底に今も水が湧いていました。 細い路地の町内ですが、ちゃんと矢印が設置されているので、迷わず行けます。 山科本願寺南殿跡に建つ光照寺です。 説明板。 【南殿光照寺】 泉水山光照寺といい、真宗大谷派の末寺にて,浄土真宗を中興された蓮如上人が、この地に造営された南殿に延徳元年(1489)8月28日退隠されて、明応8年(1499)3月25日にこの地で往生されたのであった。 然るに天文元年(1532)8月24日六角定頼らの兵により、諸堂をはじめ、この南殿も本願寺と共に焼亡いたしました。 幸いにして蓮如上人御在世南殿山水亭の遺跡をのこすため、東本願寺家老、粟津家の祖元昌が、南殿光照寺を建立し現在に至ったのである。 京都市 植え込みから突き出た「蓮如上人南殿御舊地」の碑。 入り口には、「蓮如上人御塚道 是より三町 講中」の碑。 ここにも蓮如上人が立っていました。 山科本願寺南殿跡の説明板。 【山科本願寺南殿跡】 南殿は、本願寺第八代蓮如上人が、延徳元年(1489)に75才を迎えられた時に御隠居所として建てられたもので、現在の光照寺を含む付近一帯に築かれました。 南殿は築地、濠、土塁、などが設けられた城郭的な施設を備え、200m四方程度の規模があったものと推定されています。 邸内には園地が築かれ、持仏堂、山水亭、台所などが設けられました。 南殿は惜しくも、戦国の兵火により焼失しましたが、天文元年(1536)光称寺(現光照寺)が、その故地に建立され、現在に至っております。 幸い南殿幼稚園の南方に濠、築地、築山、園池、持仏堂、山水亭、門、などの南殿跡の造構が良好に残っており、当時の南殿の庭園や建物配置の様子がよく分かる室町時代中期の貴重な遺跡であります。 光照寺住職 南殿幼稚園の園内を覗くと、土塁らしきものが見えました。 今日は春休みで園児はいなかったので、ちょっと入らせてもらいました。 「山科本願寺南殿跡」の碑を発見! やはり、土塁でした。 園地らしき窪みも見られました。 こちらは、築山かな? それとも土塁かな? これ以上は、柵があって進めませんでした。 園内を振り返る。 南殿跡に建つ幼稚園。 羨ましいですね。 南殿幼稚園を後にしました。 周囲を廻ってみる。 真宗大谷育英財団奨学生山科寮の奥に土塁が見えました。 高い土塁があるように見えるのですが… 周囲をぐるっと廻って見ましたが、これ以上近づけませんでした。 山科本願寺を後にしました。 (山科本願寺は団地辺りにあった。) 京都の隣りの盆地の巨大な土塁に囲まれた寺内町は、当時の人たちには脅威に見えたことでしょう。 (おまけ) 蓮如亡き後、本願寺は子の実如、その孫の証如と引き継がれる。 証如の時代に、山科本願寺が焼き討ちに遭い落城。 拠点を石山本願寺へと移した。 実如、証如の墓は、山科本願寺南殿跡から南へ約300m行った、山科区東野中井ノ上町にある。 詳しい地図で見る 墓の入り口。
目立たないので通り過ぎてしまう。 実如上人の墓。 証如上人の墓。 2人とも、蓮如とは全く違う扱い。 墓地と公園の間に野晒しになっている感じがしました。 |
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2010年11月11日
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