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(もどる) 明城小学校の一角にある城址碑。 この碑は、本丸に架かっていた太鼓橋の橋脚の一部と云う。 説明板のよると、この城址碑を建つところは二の丸前の横堀があり、三の丸から伏見門を通って二の丸へ入ることが出来たと云う。 そして、横堀の南には四角堀と言われる南北に細長い堀があった。 (今昔図には無いが、絵図にはある。) 本丸跡にある明城小学校。 失礼しま〜す! 平成16年までは城内小学校と呼ばれていた。 阪神尼崎駅の南にあった開明小学校と統廃合して、明城小学校となった。 ちなみに、この開明小学校跡の壁には、第二次世界大戦時の機銃掃射の弾痕が残っている。 説明板。 さて、この明城小学校の敷地内に尼崎城本丸のミニチュアが展示されています。 天守閣と説明板。 説明板を拡大。 昭和15年(1940)に先生と生徒によって制作されたもの。 かわいい隅櫓もありました。 よく作ったものだなぁ〜と感心。 明城小学校の南を東西に通る国道43号線と阪神高速3号神戸線の南へいくと外堀跡があります。 右側の敷地には国鉄福知山線の支線の尼崎港駅があった。 詳細は別ページで。 外堀の南には城下町「築地」が広がっていた。 今は住宅地となっているが、市営住宅「築地北住宅」は何となくそれっぽいデザイン。 付近の公園。 喰違虎口のよう。 東へ移動し、反対から見る。 実際、この附近に門があった。 北へ移動する。 この公園から国道43号線を挟んで北側付近に東大手門があった。 東大手門の東側に大物川が流れていて、外堀の役目をしていた。 今は埋め立てられ公園となっています。 この大物川に東大手橋が架かっていた。 石碑が残るのみです。 (西大手橋跡の石碑もあったのかな?) この公園内に、最初にご紹介した絵図と説明があります。 必見! 外堀跡を振り返る。 今度は西へ移動する。 東大手門のあった西側の曲輪は東の丸(三の丸) 今は住宅地で痕跡無し。 北外堀に沿う道。 この道の先が最初にスタートした庄下橋へ続く道。 一筋南側の道。 二の丸を東西に貫く道。 行ってみる。 この附近の地名は、北側が「北城内」 南側が「南城内」 最初の十字路を北へ曲がると喫茶店「三の丸」 この附近は松の丸か二の丸だと思うのですが… その西側には「三の丸公園」なんかもある。 二の丸だと思うのですが… 三の丸公園の南に位置する旧市立尼崎高校。 現在は市立文化財収蔵庫。 手前に内堀があり、校舎が本丸だったところだろう。 植木の辺りに天守閣が建っていた。 天守閣跡を示す碑が建っていました。 天守閣は本丸北東隅に建っていた。 他の城郭では見られない構造だった。 二の丸にある尼崎藩主青山幸利公顕彰碑。 この碑の台座は墓の石棺の蓋を持って来て置かれたものと云う。 持ってきた経緯については、櫻井神社の社務所で聞いて下さい。 (説明してくれたのですが、記憶に残らなかった。) 青山幸利公顕彰碑の西側にある市立城内高校。 ここも二の丸。 その向かい側。 左側が二の丸。 右側が堀跡。 北へ行ってみる。 市立城内高校の北西角。 城内高校の敷地が二の丸。 道路から左側が外堀跡。 これで、一周しました。 何も無いと思っていたのですが、今昔図片手に辿ってみると道路が意外と一致していて解かり易かった。 (おまけ) 「うさぎはり」 何と、まねき猫ならぬ「まねきうさぎ」。 今年は特に繁盛しそう。 阪神尼崎駅へ戻る。
停まっていた宝塚行きのバス。 阪神電鉄子会社の尼崎から宝塚間の未成線(通称尼宝線)を引き継いだバス。 駅の西南には寺町が広がる。 寺町に行ってみる。 佐々成政の墓碑がある法園寺。 こちらは複製。 本物は本堂の中にあるそうです。 如来寺。 細川高国の菩提寺。 一際大きな本興寺。 大方丈は国の重要文化財。 最後に、寺町の南にある尼信博物館。 尼崎の歴史が良く解かるそうです。 また、尼崎城の模型がこの中にあります。 尼信とは、尼崎信用金庫のこと。 民間の一金融機関がこのような立派な施設を作ってしまうとは。 尼信やるねぇ〜 |
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