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(もどる) 寒っ〰
高野山の西の入口である大門から東へと歩いて行きます。 説明板。 重要文化財だそうです。 壇上伽藍へ。 中門跡。 弘法大師弟子の実徳大徳によって、承和14年(847)に建立されたが、何度か焼失再建を繰り返し、天保14年(1843)の焼失以後再建されなかった。 現在、再建計画がある模様。 金堂へ。 対面桜。 大塔が二度火災に遭い、その再建の奉行に平清盛があたり、修造工事が終わり供養の為に登山した時、この桜に弘法大師が現れてその功を讃えたという。 よって、桜の樹木のもとに弘法大師が影向し、対面したことから、その桜の樹を「対面桜」もしくは「影向桜(ようごうざくら)」と呼ぶようになった。 金堂。 高野山の総本堂。 弘仁10年(819)に弘法大師が創建したが、幾度も焼失し、現在の建物は7度目の再建で、昭和7年(1932)に完成した。 登天の松・杓子の芝。 「登天の松(とうてんのまつ)」は如法上人が木食草衣の修行をしついに悟りを得て、久安5年(1149)にこの松より弥勒菩薩の浄土へと昇天されたことから呼ばれるようになった。 上人と共に昇天した弟子の小如法は丁度昼時で手に杓子を持っていた。 その杓子が手から落ちたその場所を「杓子の芝(しゃくしのしば)」と呼ぶようになった。 六角経蔵。 国史跡。 平治元年(1159)に建てられ、美福門院御寄進の紺紙金字一切経を容れていたが、経蔵は昭和のはじめに建て直した。 重要文化財の一切経は霊宝館大宝蔵に保存している。 閼加井門。 山王院。 山王院は御社の拝殿として建立された。 現在の建物は文禄3年(1594)の再建で重要文化財となっている。 御社(みやしろ)。 弘法大師が弘仁10年(819)に山麓の天野社から地主神として勧請し、高野山の鎮守とした。 社殿は三つあり、一宮は丹生(にう)明神、二宮は高野明神、三宮は十二王子・百二十伴神がまつられている。 鐘楼。 山王院は寺のような建物ですが、東から見ると神社の拝殿だと解かる。 雪だるま。 西塔。 国史跡。 弘法大師の御意志に従って第二世真然大徳が仁和3年(887)に建立。 現在の建物は天保5年(1834)の再建。 西塔から今度は東へ進みます。 孔雀堂。 後鳥羽上皇の御願により正治2年(1200)に落慶し、仏師快慶作孔雀明王を安置した。 堂は昭和に焼け昭和59年(1984)に再建された。 本尊の孔雀明王像は重要文化財に指定され、現在は霊宝館に収められている。 准胝堂。 御影堂。 元は、お大師さまの持仏堂として建立されたが、後に真如親王直筆の「弘法大師御影像」を奉安し、御影堂と名付けられた。 このお堂は高野山で最重要の聖域であり、限られた人しか堂内に入ることは許されなかったが、近年になって特定日に外陣への一般参拝が許されるようになった。 三鈷の松。 弘法大師が唐(中国)より帰国する時、日本に向けて投げた三鈷杵(さんこしょう)と呼ばれる法具がこの松に引っかかっていたことから、この地に密教を広める道場を開いたと云う。 根本大塔。 弘法大師が道場のシンボルとして建立に着手。 第二世真然大徳の代に完成。 現在の塔は昭和9年(1934)に再建された。 根本大塔から金堂を見る。 鐘楼と納経所。 鐘楼は弘法大師が鋳造を発願され、真然大徳の時代にようやく完成したと伝わる。 火災などで度々鐘楼が焼失し、三度ほど改鋳された。 現在の銅鐘は天文16年(1547年)に完成したもので、直径2.12mの大鐘で、日本で四番目に大きな鐘であったことから高野四郎と呼ばれる。 また、納経所で御朱印をもらいました。 根本大塔の東。 愛染堂。 国史跡。 後醍醐天皇の御願により建武元年(1334)に建立された。 愛染明王護摩と長日護摩を行うところである。 現在の堂は文化3年(1816)の再建。 大会堂。 元は鳥羽天皇の皇女である五辻斎院内親王が、父帝の追福のため建立したもの。 現在の建物は、嘉永元年(1848年)に再建された。 向かいにある不動堂。 何と国宝! 建久8年(1197)鳥羽天皇の皇女院の御願により行勝上人がこの堂を建てたと云う。 南に蓮池が広がる。 中島に小さな祠が祀られている。 蓮池から壇上伽藍の境内を出て、ちょっと南へ行くと霊宝館がある。 高野山の貴重な宝物の他、歴史が学べます。 また、仏像の基礎知識も。 ほとけさまの種類。 立ち寄るべし! また、壇上伽藍へ戻る。 勧学院。 北条時宗が高野山内の僧侶の勉学・修練のための道場として、金剛三昧院境内に建立した。 後の文保2年(1318)に、後宇多法皇の院宣によって現在の位置に移された。 非公開。 会堂坂を登って大会堂へ戻る。 坂の東に西行の住坊霊山院があった。 西行は久安6年(1150)ごろ高野山に来てそれ以来30年以上この山に在住し京洛に出かけて勧進につとめ高野山の経営に尽した。 大会堂から東へ。 三昧堂。 西行が修行した所と云い、前の桜を西行の袈裟掛桜という。 現在の堂は嘉永元年(1848)に再建された。 東塔。 白河天皇の御願により大治2年(1127)に落慶した。 現在の塔は、昭和58年(1984)に再建された。 東塔から壇上伽藍群を見る。 手洗所。 蛇腹路。 参道を龍が臥せているような形に例え、ちょうどこの辺りが腹にあたることから名付けられた。 壇上伽藍東側入口。 六時の鐘。 元和元年(1615)福島正則が建立。 朝6時から夜10時まで2時間おきに時を告げる。 最後に、金堂御朱印。 根本大塔御朱印。 次は金剛峯寺へ向かいました。 (つづく) |
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2011年02月14日
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