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登城日 2011年 1月30日(日)曇時々雪 難易度 ☆☆☆ 場所 浜松市天竜区春野町堀之内 【犬居城の概要】 犬居城は、領主天野氏の居城だったもので、行者山(標高250m)の頂きに、東西600m、南北650mに遺構が広がる県内でも代表的な中世城館跡であり、静岡県史跡に指定されている貴重な文化財です。 断崖絶壁で険阻となっている南側に対し、北側と西側は比較的緩やかで攻撃を受けやすい地勢を考慮して西側から東側にかけて物見曲輪・本曲輪・東曲輪などが配置されており、今でも空堀や堀切等の遺構が確認できます。 【居城主・天野氏】 犬居城・居城主である天野氏は、承久の乱(1221年)の後、山香庄に地頭として入り、以後犬居の地を中心に北遠地方を代表する在地領主となり、鎌倉時代には、幕府の御家人として活躍、南北朝時代には一族が南朝・北朝と分裂し争いがおこり、北朝方についた一族が後に勢力を大きくし、室町時代から戦国時代にかけて国人領主に成長するまでに至ります。 戦国時代には、今川氏の支配下に入り、今川義元の忠実な家臣として、北遠の要として位置づけられていました。 しかし、永禄3年(1560)桶狭間の戦いで今川義元が討たれると、本格的な徳川家康の遠江侵攻が始まり今川氏の手を離れ徳川に属することとなりますが、武田信玄の領国美濃(信濃の間違い?)と境を接していることもあり、信玄からの圧力と巧みな勧降工作により信玄に寝返ってしまいます。 これに激怒した徳川家康は、犬居城を2回攻撃し1度は徳川軍を後退させた天野氏でしたが、2回目は守りきれず甲斐に落ち、北遠の地には戻ってくることはない、という運命をたどります。 環境省・静岡県 新浜松駅から遠鉄に乗って終点西鹿島駅下車。 ここは天浜線との乗り換え駅でもあります。 ここから遠鉄バス春野地域自治センター行きのバスに乗り換え約1時間、堀之内下車。 一日に4本くらいしか走っていないので要注意! 秋葉バスの「犬居城入口」バス停がありました。 秋葉バスは静鉄系のバスでJR袋井駅から一日4本くらい出ています。 山麓から見た犬居城。 この辺りに居館があったのでしょう。 この通り沿いに城下町があったのでしょうか? 本日の目的地は秋葉山ですが、まずは犬居城へ。 登城道から国道362号線と気田川を見下ろす。 気田川が天然の堀となっています。 ここから山道。 犬居城まで600mです。 歩きやすい山道。 登城道の石垣。 本物かな? やがて竪堀が見えてきました。 大手口到着! バス停から約20分でした。 模型でおさらいすると、麓から登って来て右端に取りついたところ。 犬居城鳥瞰図。 (東曲輪と書いてある所が馬出曲輪) 東曲輪。 東曲輪と馬出曲輪との間の堀切。 模型で見るとこんな感じ。 右下の曲輪が東曲輪。 東曲輪と馬出曲輪との間の堀切があり、土橋で繋がっていた。 東曲輪から大手口を見る。 模型で見る。 馬出曲輪を見上げる。 周囲を空堀が廻る。 空堀の脇を進む。 二の曲輪から見るとこんな感じ。 馬出曲輪へ。 馬出曲輪。 物見櫓が建っていたようだ。 二の曲輪の虎口。 左上が本曲輪で下が二の曲輪らしい。 石垣が残る。 二の曲輪は段々になっている。 模型で見るとこんな感じ。 二の曲輪の下に井戸曲輪があった。 模型で見るとこんな感じ。 本曲輪へ戻る。 物見曲輪へ。 石垣が残る。 物見曲輪のある鐘打山。 物見曲輪。 昭和36年に鉄筋コンクリートの望楼が建てられた。 ブラジル人も登っているようだ。 登城記念に記してみては。 城下を見下ろす。 物見曲輪を見下ろす。 物見曲輪から本曲輪を見下ろす。 模型でおさらい。 搦手口から下山。 堀切。 模型でおさらい。 物見曲輪を見上げる。 搦手口から下山し、秋葉山へと向かいました。 (おまけ) 遠鉄バスの終点、春野地域自治センターバス停近くにある浜松市春野歴史民俗資料館に犬居城の模型があります。
かなり不便ですが、路線バスで上手く周れましたよ。 |
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2011年05月30日
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