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(もどる) 広沢トンネルから。 トンネルを抜けた所にちょっとした広場があります。 奥山線線路跡の碑。 モニュメント。 飛び立つラッキョウ軽便。 999かー! 煙突の形がらっきょうに似ていたので「ラッキョウ軽便」と呼ばれ親しまれた。 まるで行き違いが出来そう。 振り返って見る。 この辺りから緩やかな坂になっています。 また車輪の車止め。 浜松北高。 東大にも進学者を出す名門校だそうです。 今来た道を振り返る。 かつての最寄駅が名残駅。 この辺りにあったのかな。 お好み焼きぬのはし。 たくあんの入ったB級グルメ「遠州焼き」が食べれる。 「布橋」という地名は、三方ヶ原の戦い後、逃げる徳川家康の居城まで追ってきた武田勢を迎撃する為、犀ヶ崖に布の橋を架けて攻撃を食い止めたという伝承に由来する。 ここで、寄り道。 犀ヶ崖へ行く。 碑と説明板。 【犀ヶ崖】 犀ヶ崖と呼ばれる範囲は、はっきりしないが、この付近から下流約450mの間に、急な崖が連続している。 この付近では、幅約30m、両岸とも深さ10数mの絶壁をなす。 元亀3年(1572)12月22日、徳川家康は、三方原において武田信玄に一戦を挑んで敗け、浜松城に逃げ帰ったが、その夜犀ヶ崖付近で徳川方が、地理に暗い武田方を急襲して、この崖に追い落としたと伝えられる。 崖上の宗円堂には、この戦いによる両軍の死者の霊が祀られており、その霊を慰めるため、毎年遠州大念仏が行われる。 静岡県指定史跡。 浜松市 三方原古戦場犀ヶ崖の碑。 説明板。 武田・徳川両軍の戦死者の霊を慰めるため、毎年7月半ばに遠州大念仏が行われる。 本多忠真顕彰碑。 本多忠真は三方ヶ原の戦いで徳川軍の殿を務め、この地で道の左右に旗指物を突き指し、「ここから後ろへは一歩も引かぬ」と言って、武田勢の中に刀一本で斬り込み、39歳の人生を終えたと云う。 夏目次郎左衛門吉信の碑。 三方ヶ原の戦いで家康の身代わりとなって討死。 おかげで、家康は浜松城へ帰ることが出来たと云う。 何故かねずみ小僧次郎吉の墓もある。 寄り道はここまで。 元に戻って先へ進みます。 住宅地に似つかわしくない緩やかなカーブ。 まさに廃線跡という感じ。 90度曲がる。 犀ヶ崖の北で浜松宿から分岐した姫街道と交差。 奥山線の跡を継ぐ遠鉄バスがやって来ました。 姫街道の先も遊歩道が続く。 今度は逆に90度曲がる。 六間道路と交差。 池川駅。 渡った所にあったという。 池川駅跡を振り返る。 ここからまた一直線。 遊歩道整備中。 ここから舗装が変わった。 次は上池川駅。 このちょっと先あたりかな? 碑が無いので良く解らない。 スピードを上げて進みます。 世界陸上かー! 舗装がほぼ完成している部分。 左は自転車、右は歩道。 車輪だらけ。 何か通りにくいなぁ。 アパートの入口に奥山線線路跡の碑がひっそりと建っていました。 廃線跡だぞー! と主張する車輪群。 そして、住吉駅へやって来ました。 住吉駅跡には碑が建っています。 まだまだ先は長いです。 (つづく) |
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2011年09月11日
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