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登城日 1回目 1993年秋 2回目 2011年 8月13日(土)曇 難易度 ☆ 場所 茨城県古河市桜町 【古河城の沿革】 鎌倉時代、源頼朝の家臣で小山氏の一族であった下河辺行平がこの地を支配し、古河に築城したのがはじまりといわれる。 室町時代になると永享の乱で自殺した鎌倉公方足利持氏の子成氏が、鎌倉を追われて古河に移り、古河公方と称して古河市鴻巣の地に館を築いた。 しかし、管領上杉氏が成氏に対抗する態度をとったため、成氏は渡良瀬川に面した要害の地に城を築いてここに移った。 古河城が近世の城郭としてかたちをととのえるのは、慶長6年(1601)、松平康長が二万石で入城して以来のことである。 観音寺曲輪・百間堀などが築かれ、以後小笠原・奥平氏とかわるが、奥平氏の代に長崎曲輪が築かれた。 元和8年(1622)に永井氏、寛永10年(1633)に土井氏とつづき、順次、城は拡張され本丸・三層櫓・巽櫓・諏訪曲輪なども整備されてその形容をととのえた。 ついで堀田・松平氏と城主は交替したが、宝暦12年(1762)にふたたび土井氏が肥前(佐賀県)唐津から入城し、以後、明治維新までこの地を支配した。 このように幾度も転封がくり返されたが、城主は京都所司代・老中など幕府の要職にあったものが多かった。 これは古河が日光街道・奥州街道に面した要地であったためであろう。 古河城は、西は渡良瀬川に面し、南と東は沼地からなる自然の要害の地にある。 規模はかなり大きく、東西500m、南北1400mに及んだ。 本丸・二の丸・三の丸とそれを囲むいくつもの曲輪からなり、百間堀とよばれる堀には渡良瀬川の水が引かれていた。 しかし、大正年間(1912〜26)の改修工事で大半が水没してしまい、現在は諏訪曲輪・観音寺曲輪・丸の内曲輪の一部と、大手門西側の土塁の一部などが残っているだけである。 また当時城内にあった乾門は、市内の福法寺に移築されている。 (探訪ブックス「関東の城」より) 最寄駅はJR古河駅。 改札を出た所に観光案内所があります。 ここで、「古河てくてく観光マップ」を入手しましょう。 まずはマップ片手に諏訪曲輪に建つ古河歴史博物館を目指します。 古河駅からまっすぐ西へ歩くと旧日光街道に突き当る。 ここには本陣があった。 碑が建っています。 向かいには高札場があった。 ここにも碑と説明板が建っています。 北へ歩いて行き、一つ目の信号を左折。 少し行くと武家屋敷街が偲ばれる所があります。 大手町を南下。 正定寺の黒門。 説明板によると、旧土井家江戸下屋敷表門とのこと。 この門は『とき門』とも呼ばれる。 『とき門について』 黒門わきの潜戸を家臣の土岐なる者、緊急のため、乗馬のまま乗り入れて、無事勤めをはたした。 臨機応変な働きに土井公より褒美に名馬を賜った。 石碑の左面に馬名が刻まれている。 以後、巷では「とき門」と呼ばれ、時に応じて敏なり、として立身出世門と称された。 子孫が先祖の栄誉を忘れないように、馬頭観世音を奉納した。(1830年代) 突き当りを右折すれば追手門跡ですが、まずは左折。
作家永井路子氏旧宅。 本町2丁目交差点一筋手前を右折。 真っ直ぐ行くと福法寺がある。 説明板。 この山門は古河城乾門を移築したもの。 ちょっと戻って肴町通りへ。 実は、曲がり角に建つ酒問屋坂長の蔵は古河城移築現存蔵だった。 この肴町には古河藩使者取次所があった。 旧日光街道を南下。 コンビニのある交差点を左折すると八幡神社がある。 境内に聳える大イチョウは、寛永19年(1642)にそれまで古河城内にまつられていた八幡神社を、城主土井利勝が古河城の鬼門よけとして、現在地にうつした時に植えられたものと云う。 旧日光街道に戻り少し南下。 陽明堂のある所に、古河城御茶屋口門があった。 ここから丸の内の御成門まで御成道が続いていた。 途中、鍵の手に曲がっている。 真っ直ぐ行くと、古河城出城諏訪曲輪にぶつかる。 諏訪曲輪は土塁と水堀の一部が残るが、公園化に伴うコンクリートの護岸が不自然。 諏訪曲輪には、古河歴史博物館が建てられており、古河城の模型や古地図が見れる。 必見! 南側の出口にも古河城出城諏訪曲輪跡の碑が建つ。 歴博から見た土塁。 かつての様子。 歴博で古河市文化財マップを購入。 ここに古河城の重ね図が載っています。 しかし、大変小さく見難いので、下記掲載の歴博HPの方が見易いかも。 歴博の南にある鷹見泉石邸跡。 家老屋敷で現在は記念館になっている。 諏訪曲輪には出城ハイツが建つ。 諏訪曲輪の南端の土塁のようなものが見えた。 諏訪曲輪の西端かな。 百間堀付近。 若干窪んでいる。 御成道を通って御成門へ。 御成道付近の現在の様子。 この辺りに御成門があったのだろう。 西側に獅子ヶ崎の土塁が一部残る。 説明板。 かつての御成門。 土塁を内側から見る。 後ろを振り向くと家老屋敷の長屋門。 土塁と堀跡を西から見る。 大半が水没した城内を廻ります。 (つづく) |
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2011年09月22日
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