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登城日 2011年 1月10日(月)晴 難易度 ☆☆ 場所 兵庫県小野市中谷町 播磨安国寺へ向かう神姫バスが中谷の集落に入って行った時、車窓から見てただ事ではないと思いました。 八幡神社の周囲に土塁が見られ、その奥に高い土塁も。 気になってネットで調べてみると豊地城だと解かり、帰りに寄ってみました。 八幡神社を北東から見る。 東から見る。 発掘しているのかな。 道路を造っているのかな。 (この延長線上に豊地城本丸があった。) 八幡神社を南東から見る。 この周りを外堀が廻っていた。 八幡神社に隣接する道路。 城域を貫通。 この道路を挟んで南側に外堀の一部が残る。 外堀の南。 残存土塁かと思ったが違うようで、この地で外堀が直角に西へ曲がっていたそうで、現在は埋め立てられている。 八幡神社へ戻る。 境内西側。 豊地城に関連する土塁かな。 境内をぐるーっと廻っている。 境内西側を外から見る。 八幡神社本殿。 由緒書が無かった。 ここは豊地城の詰城だったとか。 境内東側。 櫓台でもあったのかな。 八幡神社の西へ行く。 ここに本丸があった。 本丸の南側に高い土塁が残存。 車窓から見えた高い土塁は民家の裏にあって近づきにくい。 失礼しま〰す。 西から土塁南面を見る。 土塁断面には石垣らしきものが見られた。 西から土塁北面を見る。 手前の畑が本丸跡。 本丸跡北西から本丸と土塁を見る。 立派な土塁だなぁ〜 本丸西側の郭には観音堂が建つ。 行ってみる。 観音堂。 この観音堂の建つ高台は土塁が削られた跡だそうです。 観音堂の南側の窪地は堀跡。 観音堂に建つ碑。 【史跡 豊地城跡】 字城土居を中心として東西約400m、南北約200mの城域をもつ中世の平城で、東西北の三方に川がある要害の地に城を構え、周囲には堀と土塁を築いて防備を固めていた。 城主は、南北朝時代は金谷経氏、応仁年間以降は依藤氏(赤松氏の家臣)、三木の別所重棟、栗山氏(初代赤松氏の実兄景盛の子孫で依藤氏時代からの執権)と変わる。東條谷を領して、室町・戦国時代の出来事に深く関わり、三木合戦後(天正8年頃)秀吉の命にとり取り壊されたが、城跡は栗山氏が引き継いで、以後、畿内・九州・朝鮮出兵など秀吉の働きに広く協力した。 西の郭を西から見る。
土塁以外は地形が改変されていて良く解らない。 西の郭から主郭の土塁を見る。 主郭の南辺りのバス通り。 東西北は三方川に囲まれた要害の地というが、南側は本丸より段々と高くなっている。 この辺りに外堀があったのかな。 キョロキョロ見回していたら、日に数本しかない神姫バスがやって来たので急いで八幡神社前にあるバス停へ。 間一髪間に合って豊地城を後にしました。 高い土塁が無ければ素人には城跡だと解からない城でした。 |
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2011年12月02日
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