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登城日 1回目 2008年11月12日(水)晴 2回目 2011年11月23日(水)雨 難易度 ☆☆ 場所 愛知県豊田市足助町飯盛 【飯盛山城】 県指定 史跡 昭和36・3・10 本城址は、鎌倉時代この付近を領していた足助氏の居城であったと伝え、中世城館の形態をよく保存する遺構といわれています。 当時は、この飯盛城を本城として、真弓山城・臼木ヶ峯城(豊楽城)・大観音城・城山城・成瀬城・黍生城の七つの城が連なっており 足助七城とか足助七屋敷といわれます。 城は山頂を二段に分け、平に削って城塁本丸 二の丸 三の丸として西側と北側に多くの矢場、東側には、堀切(空ぼり)を二箇所設けています。 南側の山麓に近いところ(現在の香積寺付近)には自然の地形を利用して土塁をめぐらしており、ここには居館があったと推定されています。 所在地 愛知県豊田市足助町宮ノ後13 主祭神 品陀和気命 創建 伝・白鳳3年(673) 鳥居。 明治初年まで境内に神宮寺があった。 この鐘楼は神宮寺があった唯一の名残りである。 明治維新の神仏分離の際、鐘は三重県柿野町来迎寺に売られ、現在は県文化財に指定されている。 境内へ。 御由緒。 【足助八幡宮】 天武天皇の白鳳2年(673)創建と伝える古い神社で神宮寺のあった名残りの鐘楼もあり多くの文化財を保存している。 <八幡神社本殿> 昭和40年5月27 国指定 重文 文正元年(1466)11月の再建で、桧皮葺三間社流造である。 妻飾・象鼻・手挟など室町時代の特色をよく示しており、特に向拝の蝦虹梁の手法はすこぶる奇異で珍しいといわれている。 地方では規模も大きく、稀に見る神社である。 <扁額 鉄砲的打図板額> 昭和32年9月6日 県指定 慶長17年(1612)三河国岩神村(足助町内)の沢田四郎右衛門尉が奉納したものである。 八幡宮の社前で、日の丸の扇を的にして老扇が射撃する図が、大和絵の手法で描かれている。 鉄砲を描いた古絵馬(扁額)は、全国でも他に3枚しか現存しない珍しいものである。 豊田市教育委員会 手水舎。 龍が吐く手水鉢の中をカエルが泳いでいました。 隣りには足神さま。 「足を助ける神」。 その隣に市指定天然記念物の大杉。 樹齢500年以上とか。 手水舎の裏に「棒の手」の碑。 棒の手は、剣術、棒術、薙刀術など日本武術の形を踊りにした伝統芸能で、県指定無形民俗文化財。 境内の西に聳える市指定天然記念物のイチョウ。 拝殿西側の末社群。 金比羅社・天満社・秋葉社・塩釜社。 拝殿。 拝殿にも草鞋。 奥の本殿。 国の重要文化財。 東の末社群。 御鍬社・稲荷社・津島社。 最後に御朱印。 足助八幡宮の隣が足助神社。 鳥居。 説明板。 【足助重範を祀る足助神社】 足助次郎重範は、飯盛山城主足助氏7代の惣領で、元弘の乱(1331年)には、後醍醐天皇に味方して笠置山(京都府)籠城軍三千人の総大将となり、一の木戸で奮戦した。 三人張の強弓で戦うさまが、「太平記」に名文でえがかれている。 笠置山落城のとき捕われの身となり、元弘2年(1332)5月、京都の六条河原で斬首された。 拝殿。 明治35年創建。 忠臣足助氏の碑。 鎌倉時代末期の笠置山の戦いは知っていたが、総大将が足助重範とは知らなかった。 香嵐渓へ向かう。 昭和5年に香積寺の「香」と嵐気の「嵐」の二字をとって「香嵐渓」と名付けてから、紅葉の名所として知られるようになった。 飯盛山への登山口に、冒頭の飯盛山城の説明板がある。 ここから登らずに真っ直ぐ進む。 もみじと待月橋。 飯盛山香積寺へ。 所在地 愛知県豊田市足助町飯盛39 山号 飯盛山 宗派 曹洞宗 本尊 聖観世音菩薩 創建 応永34年(1427) 開基 二条良基ほか、白峰祥瑞(開山) 山門。 説明板。 【飯盛山 香積寺】 杉木立ともみじの香積寺は、曹洞宗の古刹である。 応永34年(1427)足助氏の居館跡に創建されたもので、開基は関白二条良基と成瀬三吉丸(尾張犬山城主成瀬家の祖)、開山は白峰祥瑞禅師である。 かつては学林として栄え、時には100名もの雲水が参禅したという。 もみじの開祖11世参栄禅師、画技にも卓越した25世風外禅師はあまりにも有名で、風外禅師の画を多数蔵している。 山門脇に巨大な土塁が聳える。
山門を裏から見る。 高い土塁がぐるっと廻る。 反対側は土塁が切れている。 元はこちらが居館の入り口だったのかな。 参道。 一段高い曲輪に香積寺がある。 参道を見下ろす。 手水舎。 風流な手水鉢。 正面に本堂。 本堂脇に豊栄稲荷。 境内鎮守の護法神として奉安された守護神。 僧堂(坐禅堂)。 中の様子。 御朱印。 境内裏から登城。 境内を見下ろす。 足助城主鈴木氏5代の墓。 その先に二条良基の装束塚。 関白二条良基は、約600年前京都の戦乱を避けて足助へ逃れてきた。 足助重範の娘滝野との間に出来た子が犬山城主成瀬家の祖成瀬基久と云う。 装束塚の脇に足助重範と成瀬基久の墓がある。 つづら折りの山道を登って行くと広い曲輪に出た。 その上に主郭。 巨石がごろごろ。 ライトアップされたもみじ。 紅葉は今一つなのに、紅葉しているように見えた。 城下を見下ろす。 主郭東側の曲輪。 ここで日没。 太子堂。 夜のもみじと待月橋。 全山が燃えるような飯盛山城を後にしました。 結局、足助に3回も来てしまった。 これが最後かな。 |
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2011年12月16日
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