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登城日 2012年 4月18日(水)晴
難易度 ☆☆
場所 岐阜県大垣市曽根町1丁目772-1
JR大垣駅から名阪近鉄バス大野バスセンター行きに乗って行きます。
曽根バス停下車。
少し戻ると、「←曽根城公園700m」の標識があります。
曽根町2丁目の交差点を左折。
「梁川星巖先生遺跡 東に700m」の碑と祠が目印。
一面白い花が咲き誇る。
この付近の名産、梨の花だそうです。
曽根城公園への案内板に沿って左折。
もうここは城域。
付近の水路は堀跡か。
案内板に沿って右折。
本丸跡が見えて来ました。
本丸は華渓寺の敷地となっています。
入口に説明板と城址碑が建っています。
説明板。
【曽根城跡】
この地は天正のはじめ、春日局の父、斎藤利三が、城主稲葉一鉄の重臣として住んだところである。
春日局は稲葉一鉄の姪、お安と斎藤利三との間に生まれた子であり、のちに一鉄の子、重通の養女となって稲葉正成に嫁した。
曽根城の創築年代は不明だが西美濃三人衆の一人として活躍した稲葉一鉄が永禄10年(1567)織田信長に仕え、五万石を領したという。
その後、この城は一鉄の子、貞通と孫の典通を経て、天正16年(1588)から西尾光教が在城した。
光教は関ヶ原合戦(1600)に西軍の守備する大垣城を攻略する等の戦功をたて戦後揖斐城に移り、曽根城は廃城になった。
一鉄の母の菩提寺である華渓寺も享保19年(1734)に本丸跡に移転した。
なお、華渓寺所蔵の曽根古城跡図の中央部に「斎藤内蔵佐」と利三の屋敷が記されているから春日局は、ここで生まれたのではないかといわれている。
古城跡図を拡大。
説明板裏に華渓寺の福水。
説明板。
本丸堀跡。
本丸跡の碑。
もう一つの説明板。
大垣市指定史跡
【曽根城跡】
曽根城は揖斐川の支流平野井川の湾曲部を利用して築かれた平城です。
創建は室町時代末期に稲葉通富によってなされたと言われ、以後稲葉氏の勢力拡大の拠点になりました。
中でも稲葉良通(一鉄)は、西美濃三人衆にも数えられるほどの優れた武将で、織田信長・豊臣秀吉に仕えて数々の戦功をたてました。
天正16年(1588)西尾光教が稲葉氏に替わって曽根城主になりましたが、関ヶ原合戦後揖斐城に移り曽根城は廃城となりました。
その後、城跡は開墾され田畑となっていましたが、一鉄が生母の菩提を弔うために建てた華渓寺が、享保19年(1734)に現在の場所(本丸跡)に移築されました。
大垣市教育委員会
江戸時代後期の漢詩人、梁川星巌が祀った庚申像。
本丸の様子。
本丸東側の二ノ丸は駐車場になっている。
本丸の北側。
石垣が残る。
説明板。
稲葉一鉄時代の石垣。
別角度。
さらに別角度。
本丸の西側には水堀が残る。
大垣市の魚、ハリヨが生息する。
ハリヨの生態。
曽根城公園の池。
往時は屋敷地だった。
池の西側に春日局ゆかりの地の碑が建つ。
説明板。
曽根城公園東側の堤。
もう少し早く来たら桜がきれいだったんだろうなぁ。
伝説夜叉姫発祥地らしい。
堤の東側も城域。
華渓寺旧境内地は川になっている。
公園の北の集落の中に鎮座する春日神社。
本殿は岐阜県重要文化財。
古城跡図によると、ここから南下すると八幡宮があるはず。
八幡宮がありました。
ということは、この少し東側に斎藤利三の屋敷があったはず。
行ってみると、ちゃんと石碑が建っていました。
バスの時間がせまってまいりましたので、曽根城を後にしました。
なお、曽根城については、大垣市教育委員会発行の調査報告書が詳しいです。
平城ですが、なかなか楽しめる曽根城でした。
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