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場所 愛知県豊川市小坂井町北浦11 糟塚砦跡から国道1号線沿いを名古屋方面へ進むと、 曹洞宗の寺、善住寺があります。 近所の子供たちの遊び場になっている境内。 手水舎脇に小坂井東尋常高等小学校跡の碑。 日本画家平川敏夫の母校という。 そして、本堂裏の墓地に赤松則村の供養塔がある。 説明板。 【赤松則村(円心)供養塔】 赤松則村は、建武の新政には後醍醐天皇に忠義を尽くしたが、その賞与に不満があった。 足利尊氏が、建武政府に反旗をひるがえすと、則村も直ちにこれに応じ各地で官軍と戦い、足利政権を樹立するのに大きな力となった。 どうしてこの塔があるかは不明であるが、菟足神社所蔵の梵鐘(県有形文化財)の銘に応安3年(1370)と北朝の年号が記入されていることから考えると、当時この地方は北朝の勢力範囲であったと思われる。 平成12年3月 豊川市教育委員会 同市内の御馬、佐脇等は赤松氏の分領地であり、このお墓は、この地に来た赤松円心の子孫が先祖を供養するために建てたものではないかとか。
また、御馬にある敬圓寺は赤松満祐の三男である満照が開基したと云う。 行ってみる。 最寄駅のJR東海道本線愛知御津駅。 駅から南へ約300mくらいの住宅地の中に敬圓寺がありました。 住所は愛知県豊川市御津町御馬西40です。 この南に江戸時代には御馬陣屋があった。 境内の様子。 赤松氏の史跡は無いが、山号は「満照山」。 浄土真宗大谷派の寺です。 赤松満祐の子は教康しか知られていないが、他にいても不思議ではない。 嘉吉の乱で逃れて来たのであろうか。 謎に包まれた赤松則村供養塔でした。 |
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2012年09月26日
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