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松倉城周辺支城群。 【松倉城とその支城群】 富山県を代表する山城である松倉城は、その規模から、増山城(砺波市)や守山城(高岡市)とともに越中三大山城のひとつに数えられています。 その松倉城を中心として、半径2〜3km圏内には、升片城や北山城などの支城(出城)や砦などが配され、さらに半径7〜8km圏内になると、魚津城や天神山城のほか、小規模な砦も点在し、広域な城郭群を形成していました。 これらの城郭群は、山々が海に向かって張り出している魚津市特有の地形を、巧みに利用して築かれたものです。 松倉城を守るように、升片城や水尾城、石の門砦が西側(富山方面)の防衛線を形成しています。 一方、東側(黒部方面)の防衛線として天神山城を配し、さらに、陸海路・河川交通の要衝の平野部に魚津城を配しています。 また、市域を流れる早月川や角川、片貝川、布施川は、天然の堀の役目も果たしていたと考えられます。 東屋に設置した立体模型は、魚津市の地形の中で、松倉城とその支城群の位置関係や、松倉城の構造を視覚的に実感できるようにしたものです。 平成22年9月 魚津市教育委員会 東屋の模型。 松倉城から入城の門広場へ戻ると、獅子舞が行われていました。 ゆっくり観たかったのですが、1時間に一本のバスがやってきたので急いで乗ろうと思ったら… 満員で乗れなかった 1時間後のバスに乗れる保証もないので、歩いて小菅沼城を目指しました。 途中から見た松倉城。 今日は人も多く、車がたくさん行き交うので熊の心配が無いのが幸いでした。 約20分歩き、土橋のような道を進むと、 小菅沼城へ到着。 地図。 説明板。 【小菅沼城跡(武隈屋敷跡)】 武隈屋敷は小菅沼城とも呼ばれる城館跡で、周囲が高い石垣で囲まれ、出入り口は舛形の門跡が残る。 室町時代の松倉城主椎名氏の家老と伝えられる武隈氏は椎名氏滅亡後もこの地に居住していたが、大正期に他県へ転居している。 屋敷跡は金山谷から松倉城への途中にあり、一辺が60〜70mの方形で石垣が巡らされている。 小菅沼地区にはこの他にも土塁で囲まれた館跡が存在しており、松倉城の時代に支城や城館跡が小菅沼地区に多数存在していたと考えられている。 富山県教育委員会 魚津市教育委員会 現況図。 (富山県中世城館遺跡総合調査報告書より) 石垣を反対側から。 その先の石垣。 往時は無かった外入口から入る。 振り返る。 郭内部の様子。 石垣を伴う土塁に囲まれている。 郭を仕切る土塀跡かな。 舛形の門跡へ。 側面の石垣。 舛形の土塁。 下から見る。 側面の石垣を下から見る。 舛形の門跡入り口。 小菅沼城を後にする。 付近にも土塁で囲まれた武家屋敷跡が点在している小菅沼城でした。 (おまけ) 近くに祭り会場として設置されたすがま茶屋へ。 「クマ注意」が破かれている。 まさか ビクッ! ヤギの後ろは作り物だった。 脅かさないで〰 ヤギは本物でした。 魚津のゆるキャラ「ミラたん」。 ここから升方城へ行きたいのですが… しばらくバスが来ない。 また来ても満員で乗れないかも。 と、途方に暮れていたら、升方城の麓まで地元の方が車で送ってくれました。 有難うございました。 (つづく)
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2012年10月09日
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