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場所 石川県七尾市古府町、府中町
能登国府はどこにあったか。
養老2年(718)5月2日に越前国から羽咋郡、能登郡、鳳至郡、珠洲郡の四郡を分立して成立した。
その後、天平13年(741)12月10日に越中国に併合されたが、天平宝字元年(757)に再び分立したと云う。
そして、分割と併合を経た能登国の国府も移転したとか。
そのうちの一つ、能登国分寺跡に隣接する地に能登国府があったと推定されている。
推定域を国道159号線が横断。
発掘調査がされていないので詳細不明。
付近の町名は古府(ふるこ)町。
推定域の南東に能登国総社が鎮座している。
境内入り口。
文化財指定されている。
鳥居。
扁額。
参道。
手水舎。
力石。
社殿。
扁額。
誰もいなかった。
総社由来。
能登国内43座の神を祀るほか明治40年(1907)合祀した諏訪神社の建御名方神を祀る。
旧社格は村社。
能登国の総社である。
総社は平安中期から後期にかけ国司が管内の官社などの神霊を国衙に近い地に勧請して奉幣参拝の便をはかったのに起源するという。
社伝によれば往古大穴持命を奉祀したのに始まり、源順(みなもとのしたごう)が能登守のとき再建して能登国中の式内43座の神を勧請したという。
「能登国式内等旧社記」には「惣社矢田郷古府村鎮座。称惣社明神式云惣座宮。往古国府神拝之惣社也。」とある。
春祭4月18日、秋祭10月18日。
寛永15年(1638)の三番叟図額、三十六歌仙額や寛永18年(1641)の絵馬額がある。
境内を出る。
総社があるのでこの辺りに能登国府があったのだろう。
また、国道159号線を七尾駅方面へ進むと「本府中」という町名もある。
そして、海沿いには「府中町」もあり、町内に印鑰神社が鎮座している。
由緒。
本社は能登国式内等旧社記に記載の神社で、能登国国衙の印璽を保管した由来から印鑰神社と称す。
社名の初見は天文元年の文書にその名を見る。
後、戦國の爭乱天難を土中にさけ、文緑年中赤間田より地主両川市左エ門、奉行三輪藤兵衛等の夢告により出土し大手町に、後寛永16年府中町を経て文政8年現地に遷宮し以来150年に及ぶ。
祭神 市杵嶋姫命
末社 境内に3社置く
宝物 文化財指定物
昭和50年4月吉日
境内の様子。
扁額。
能登国の印璽を保管していたということと付近の町名から、この付近にも能登国府があったとのだろう。
能登国の国府は詳細不明。
今後の発掘調査が待たれます。
(おまけ)
この日は能登国国守だった源順が祭と定めたと云う青柏祭の日でした。
晴れていれば北前船を模したという「でか山」の巡幸が見れたのですが…
あいにくの天気で中止になったみたいでした。
残念です。
駅で売られていた「長まし」。
こし餡を餅でくるんだカラフルなお菓子。
青柏祭の頃に出回る七尾の銘菓だそうです。
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