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所在地 兵庫県たつの市御津町室津74 主祭神 賀茂別雷神・彦火火出見尊 創建 平安時代 【室津の賀茂神社】
室津は奈良時代に編纂された『播磨国風土記』に「室原泊」として記され、古代から良港として繁栄してきました。 その室津の地に、賀茂神社が社殿を構えた起源や当初の姿は定かではありません。 しかし、平安時代後期には社殿が五つ、六つ並びたっていたことが史料からわかります。 本殿と両脇の二棟を合わせた五棟の社殿は、いずれも屋根が流麗な桧皮葺の流造で、古代様式の清楚で荘厳な佇まいを伝えるものです。 そして、五棟の社殿と唐門、両脇の回廊を含めた八棟が国の重要文化財に指定されています。 下図は、文化元年(1804)に出版された「播州名所巡覧図絵」に描かれた境内と周辺の様子です。 五棟の社殿に加え、御祖社、参籠所、拝殿、絵馬堂、四脚門(表門)に加えてソテツの群生など、今と変わらぬ社姿を見ることができます。 また、急な石段を登る参拝者や境内の商人、室津港に浮かぶ帆船や檝取社からの参拝道も描かれ、室津と賀茂神社の賑わいが活写されています。 さらにかつては多宝塔、藤棚のほか、御祖社には拝殿があったことなどもわかります。 江戸時代の室津には多くの外国人が上陸しました。 オランダ商館長に同行した医師シーボルトは、文政9年(1826)に室津を訪れました。 下の絵はその時に描かれたもので、室津の賑わいや賀茂神社について記述した紀行文とあわせ、当時を知る貴重な史料となっています。 室津は、海上交通の要衝として栄え、西国大名の参勤や外国人の参府にかかわり、人・もの・情報が行き交いました。 賀茂神社は、こうした奥行きのある「港湾都市室津」の要となる歴史文化遺産そのものです。 平成19年9月 たつの市教育委員会 対岸から見た賀茂神社。 室津の港に突き出た岬の丘の上にあります。 境内図。 平清盛も参拝したであろう。 説明板。 さらに登る。 石鳥居。 脇に白髭社。 奥に一の神庫。 社標。 石鳥居から四脚門(表門)への参道。 右側に蘇鉄群。 野生状態の群生林としては日本列島の北限に位置する。 馬足の龍の彫刻が彫られているが見落とした。 四脚門脇に棚尾社。 参道を振り返る。 四脚門(表門)から境内を見る。 右側に、二の神庫・贄殿・祓所が連なり、その前に恵美酒(蛭子)社がある。 左側に手水舎。 身を清める。 手水舎の奥に老朽化した玉垣が置かれていた。 説明板。 隣りに絵馬堂。 授与所を併設。 様々はお札やお守り。 愛の榊絵馬もあります。 「プライバシーシール付」なんだワン! 絵馬殿の絵馬。 神馬舎も併設。 室津の北にある揖保川町馬場の由来。 拝殿に戻る。 正面の唐門を挟んで東西に回廊が廻る。 回廊の奥に東から、摂社榲尾社、摂社片岡社・太田社、本殿、摂社貴布禰社・若宮社、権殿が建ち並ぶ。 共に国の重要文化財。 お参りした後、西へ。 権殿の西側の蘇鉄群は多宝塔跡。 こんな多宝塔が建っていた。 蘇鉄群の奥、作事庫前に愛の榊。 2本の榊の木が神様の強い力により途中から1本に結ばれている。 夫婦の絆・良縁にご利益があるという。 蘇鉄群の西側に八幡社。 境内を一旦出る。 出た所に大宮(淡島)社。 海へ向かって西へ下る。 下った所に、 檝取(住吉)社 戻って、 今度は北へ下る。 湊口御番所跡。 見性寺の末寺龍福寺もあった。 大坂城残念石。 北側から境内へ戻る。 御祖社、河合社。 祓所・贄殿・二の神庫を裏から見る。 橋本社。 岩本社。 梶田社。 蘇鉄群裏の摂末社群を振り返る。 蘇鉄群の東側で参道に合流。 境内を出る。 詰の城?の室山城を見る。 港の対岸に、 御旅所。 小五月祭りでは「棹の歌」が奉納され、優雅な衣装をまとった少女たちが室君(室津の長者の娘役)を中心に境内から御旅所まで歩く。 最後に御朱印。 室津に来たら見過ごせない賀茂神社でした。 |
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