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登城日 1回目 1997年 3月 8日(土)晴 2回目 2012年 5月 3日(木)曇後雨 難易度 ☆ 場所 大阪府大東市北条 【飯盛山城】 飯盛山城(別名、飯盛城)は、生駒山地の北部にそびえる標高314mの飯盛山に築かれた中世の山城です。 飯盛山は、東に深い谷を有し、北と西側は非常に険しく、かた河内平野や遠くは京都まで一望できることから、軍事的に重要な場所とされていました。 そのため、南北朝時代には城が築かれたと推定され、本格的に整ったのは畠山の家臣、木沢長政が居城とした享禄4年(1531)の頃とされています。 その後、交野の土豪であった安見直政が城主の時期もありましたが、永禄3年(1560)には室町幕府の実力者であった三好長慶が畿内平定の本拠地として入城し、政治・文化の中心地となりました。 また、長慶はキリスト教にも寛容で城下での布教を許可し、多くの家臣がこの城で洗礼を受けています。(河内キリシタン) 長慶が城主であった全盛期には、南北約1200m、東西約500mの城域に、大小約70の郭(防御するための場所)が築かれていたとされ、全国でも有数の山城といえます。 しかし、長慶も入城後4年後に亡くなり、天正4年(1576)頃には、織田信長の勢力によって廃城になりました。 平成22年2月 大東市教育委員会 初めて行った日はJR東西線の開通日でした。 それから15年の歳月が過ぎてしまった。 最寄駅はJR四条畷駅。 線路沿いを北上し、踏切のある突き当りを右折し西進。 四条畷神社を目指しました。 所在地 大阪府四條畷市南野2丁目18番1号 主祭神 楠木正行 他24柱 創建 明治23年(1890)4月5日 由緒書。 参道を進む。 奥に聳える山が飯盛山。 駅から15分で四条畷神社入り口。 二の鳥居。 境内入り口に建つ標柱。 階段下の二の鳥居を振り返る。 境内の様子。 黒幕の有源招魂社。 楠天神社。 手水舎。 楠の大木の根元に、 楠公慰霊碑。 武士の堅き心は桜ばな ちりての後ぞ人や知るらん 三の鳥居から奥へ。 桜井の別れ。 楠木正行(子)と楠木正成(父)。 社殿。 正面が四条畷神社拝殿。 西側に楠木正行の母を祀る御妣神社。 三の鳥居から出る。 社務所。 休憩所。 四条畷神社ともお別れ。 今日の主役は楠木正行ではありません。 目指す飯盛山城はこの上にあります。 登城開始! 矢印に沿って進みます。 最初はこんな感じで登りやすい。 最初は残存石垣かと思った。 こういう階段は歩幅が合わないので反って疲れる。 これは本物の残存石垣? 石がごろごろ。 この辺りはキツイ。 登りはじめて20分で視界が開けた。 凄い急な階段でした。 ふぅ〰 と、思ったらまだ先もだった。 頂上が見えたので少し気力が回復。 ひょっとして頂上? と、思ったらまた歩幅が合わない階段。 を何度か繰り返す。 土塁? 櫓台? 城下が見下ろせた。 登りはじめて35分で二ノ丸史蹟碑郭に到着。 今登って来た道を見下ろす。 縄張図。 石垣? だと思うが、確認出来ず。 二ノ丸史蹟碑。 拡大。 石垣? 堀切。 逆側から見る。 二ノ丸御体塚郭の東側を進む。 堀切を振り返る。 見上げると、二ノ丸御体塚郭の東側に石垣が見えた。 拡大してみる。 道の壁面にも石垣。 少し進んで見上げるとまた石垣。 下を見ると足元にも石垣。 近づいてみる。 正面から見たいが、足場が無いのが残念。 その先にも草に埋もれているが石垣があった。 土留めの石垣らしい。 二ノ丸御体塚郭へ。 二ノ丸御体塚郭。 三好長慶の死後3年間仮埋葬されていたと云う。 真ん中に登山300回記念碑が建つ。 側面の石垣が気になるが、 天候が思わしくないので、急いで本丸へ向かいます。 (つづく) |
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