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場所 静岡県掛川市佐夜鹿 事任八幡宮から帰りのバスが無かった…
1時間以上待たなくてはならなかったので、ちょっと東海道五十三次の25番目の宿場町である日坂宿へ。 日坂宿入り口。 天保11年(1840)日坂宿場の図。 逆川を渡った所に下木戸があった。 高札場。 少し進むと川坂屋 ここで東海道を京都から東京まで歩いている3人組が追い抜いて行きました。 思わずついて行ってしまった。 萬屋。 本陣「扇屋」跡。 間取図。 ここから登り。 この辺りは坂口町。 日坂宿の東端。 ここから難所。 二の曲りと沓掛。 遠くに粟ヶ岳が見えた。 斜面に『茶』の文字。 正面から見たい… 茶畑の間の細い東海道を東へ進む。 日坂宿から約1kmで夜泣石跡。 明治元年までは東海道の真ん中にあったが、明治天皇が京都から東京へ行く際に道路脇のこの場所へ移された。 その後、東京で博覧会があり、出品された帰途、現在地(国道1号線小夜の中山トンネルの手前(東京側)の道路脇)に置かれ今に至る。 夜泣石を目指して先へ進む。 涼み松。 松尾芭蕉が大きな松の下で休み、「命なりわずかの笠の下涼み」なる句を詠んだことに由来。 妊婦小石姫(三位良政と月小夜姫との間に生れた子)の墓。 馬頭観世音。 蛇身鳥退治に京の都より下向して来た、三位良政卿が乗って来た愛馬を葬った所。 先へ進む。 所々に歌碑があるので好きな方は楽しめます。 緩やかな坂を登った所に鎧塚。 建武2年(1335)北条時行の一族名越太郎邦時が、世に言う「中先代の乱」のおり京へ上ろうとして、この地に於て足利一族の今川頼国と戦い、壮絶な討ち死にをした。 頼国は、名越邦時の武勇をたたえここにつくり葬ったと云う。 さらに進む。 この頃になると三人組がとうとう見えなくなってしまった。 佐夜鹿一里塚。 ここは茶どころ。 一服したいが… 「20m先犬←」の表記。 案の定でした ここに小夜の中山峠案内図があります。 (JR掛川駅の観光案内所にもあります。) 案内図。 小夜の中山公園の西行歌碑。 子育飴を販売している茶屋「扇屋」を通過。 接待茶屋跡。 旅人の憩の場となっていた。 接待茶屋跡からの風景。 東海道を挟んで北側には久延寺。 境内にもう一つの夜泣石がある。 説明板。 その時汲んだ井戸が付近に残る。 先へ進む。 この辺りで左折すると、小夜の中山トンネル前に置かれた夜泣石へ行ける。 左折して行こうとしたが、茶畑を抜けた所に檻。 何で??? 何か薄気味悪い竹藪の道。 ぎゃぁ〰目の前を自分より大きなイノシシが横切った。急いで退散。 檻はイノシシのものだったとは 廻り道して行く。 小夜の中山トンネル前の小泉屋。 名物子育飴。 少し登った所に置き去りにされた夜泣石。 説明板。 ここから下り。 思いっきり下って菊川の里へ。 菊川の里周辺案内図。 中納言宗行卿の塚。 菊川坂を登る。 ごつごつして歩き難かった。 菊川坂の登った所に諏訪原城。 『茶』の文字の正面はココだった。 諏訪原城では2月2日に現地説明会が行われた。 資料だけもらって通過。 諏訪原城に立ち寄らない贅沢。 と、強がってみたものの、我慢出来なくてちょっと覗いてみた。 めったに来ないバスとすれ違う。 金谷坂の石畳。 受験生の味方、すべらず地蔵尊。 金谷坂を下った所でうっすらと富士山が見えた。 さらに下って金谷大橋。 金谷宿の西の入口。 そして、JR金谷駅。 とうとう歩ききってしまった… |
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