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所在地  京都市上京区烏丸通下長者町下ル桜鶴円町385
主祭神  和気清麻呂・和気広虫
創建    不詳

京のいのしし神社です。

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【護王神社】

護王神社は、はじめ洛西の高雄山神護寺の境内に和気清麻呂公の霊社として祀られ、古くから「護法善神」と称していましたが、確かな創建の年は伝えられていません。
嘉永4年(1851)、孝明天皇は清麻呂公の歴史的功績を讃え、「正一位護王大明神」の神階と神号を授けられました。
明治7年(1874)、別格官幣社に列し、「護王神社」を正式社名と定め、同19年(1886)、明治天皇の勅命により、神護寺境内から京都御所蛤御門前の華族中院家邸宅跡地(約1500坪)の現在地に社殿を造営し、御遷座。
大正4年(1915)には相殿神の広虫姫を、清麻呂公と並ぶ主祭神として併せ祀られました。
清麻呂公は、奈良時代の末に皇位を奪おうとした僧弓削道鏡の野望を、その身を賭してこれを挫き、万世一系の皇統を護持されました。
また、桓武天皇の御代には平安京への遷都を献策し、造宮大夫(兼民部卿)に任ぜられて都造りに精魂を傾けられました。
清麻呂公の姉君の広虫姫は、早くから宮中の女官として仕え、清らかで慈愛心の深いお人柄から、孝謙天皇をはじめ歴代の天皇から厚く信頼されました。
戦乱で生じた83人もの孤児たちを養子として育てられるなど、優しさと慈しみに満ちた素晴らしい御事績を残されています。
(パンフレットより)

護王神社は、京都市営地下鉄丸太町駅から北へ徒歩7分、京都御所蛤御門の前にあります。
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烏丸通を挟んで京都御所側から護王神社を見る。
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境内へ入る前に祭神である和気清麻呂とその姉の広虫について学ぶ。
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和気清麻呂公は子供の時、姉の広虫姫と一緒に、両親から
「ご先祖さまは偉いお方でした。大きくなったら天子さまに尽くすように。」
と聞かされていました。
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清麻呂公は奈良の都へ上ることになりました。
お母さんと先生が見送ってくださいました。
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広虫姫は、法均という尼さんになって、天子さまにお仕えしました。
ある年、ひどい飢饉のために食物がなくなったので、子供がたくさん捨てられました。
姫はその子供たちを助けました。
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広虫姫が拾い上げた子供たちは83人にもなりました。
姫はみんな自分の子のようにかわいがって育てました。
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そのころ、弓削道鏡という僧侶がいて、政治に口出しをして勝手なことをしていました。
役人たちは恐れてご機嫌を取るだけでした。
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ある時、宇佐八幡宮のお告げとして、
「道鏡を天子さまにするように。」
と伝えた者がありました。
そこで天子さまは、清麻呂公をお呼びになって、
「その宇佐八幡宮のお告げが本当かどうか正してまいれ。」
と言いつけられました。
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道鏡は清麻呂公に、
「わしの望みがかなったなら、おまえを重い役目にしてやるからよろしく頼む。」
と言いました。
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友達の路豊永は清麻呂公に、
「もし道鏡の望みをかなえるようなことがあれば、私は生きていません。」
と言いました。
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清麻呂公が宇佐へたつ前、広虫姫は
「大事なお使いです。覚悟を決めてしっかりやりなさい。」
と励ましました。
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清麻呂公は都を離れて宇佐へ向かいました。
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宇佐へ着いた清麻呂公は、八幡宮に一心にお祈りしました。
すると、
「我が国は神代から君と家来の区別がはっきりと決まっている。どんなことがあっても家来を天子さまにすることはできない。道にそむく者は早く追い払ってしまえ。」
という神様のお告げがありました。
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清麻呂公は都の帰り、神様のお告げを天子さまにお答えしました。
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広虫姫は清麻呂公の帰るのを待ち受けて、その功績を讃え喜びました。
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道鏡は怒って、清麻呂公を大隅国(鹿児島県)へ、広虫姫を備後国(広島県)へ流しました。
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道鏡は清麻呂公を途中で殺そうと思い、家来に追いかけさせました。
その時、急に大嵐になったので、みんな逃げてしまいました。
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清麻呂公が豊前国(大分県)の山道を通っていくと、どこからかたくさんの猪が出てきて、清麻呂公の前や後ろを護ってお供しました。
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清麻呂公は、大隅国で少しの間も天子さまのことを忘れません。
藤原百川はお米を送って慰めました。
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広虫姫が備後国で暮らしていた時、都から干し柿が届きました。
姫が育てた子供たちが送ってくれたのでした。
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一年あまりがたちました。
天子さまからお使いがあって、清麻呂公と広虫姫は、都へ呼び返されることになりました。
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道鏡は下野国(栃木県)へ流されることになりました。
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清麻呂公と広虫姫は、いよいよ重く用いられました。
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桓武天皇は、都を奈良から今の京都へお移しすることになりました。
清麻呂公は、都を造る長官になって尽くされました。
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都が立派にできあがったので桓武天皇は京都へ移られました。
京都はその後、平安京として千年あまり栄えました。
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これは、護王神社です。
このお社に和気清麻呂公と広虫姫が御祭神として祀られています。
藤原百川と路豊永もここに配祀されています。
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護王神社全景鳥瞰図。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/dd/61/kanezane3/folder/463061/img_463061_10947979_42?1367233024_
表門から入る。
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表門を入って右側に手水舎。
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手水鉢にイノシシ。
鼻をなでると幸せが訪れるという。
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脇にカリンの木。
樹齢100年を越える名木で、この木に成る実を用いて造ったカリン酒はぜんそくによく効くそうです。
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根元に吉井勇歌碑。
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正面に拝殿。
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左右に狛猪。
右側。
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左側。
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亥子祭のために飾られた拝殿。
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拝殿の奥に中門。
その奥に本殿。
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中門右側に建つ足萎難儀回復の碑は撮り忘れました。
左側のおがたまの木。
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根元に願かけ猪と座立亥串。
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境内南側に社務所、受付授与所。
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足腰のお守りがズラリ。
清麻呂公が大隅国へ流される時、足萎えで立つことも出来なかったが、イノシシのご守護によって不思議と立って歩けるようになったという故事に因み、足腰の守護神と仰がれている。
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猪コレクション。
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おみくじも猪。
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境内北側へ。
足萎難儀回復の碑の隣りに霊猪の手水舎。
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護王会館前に和気清麻呂銅像。
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その奥に日本一のさざれ石。
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その裏にもイノシシがズラリ。
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護王神社内に広虫姫御神像。
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清麻呂公は足腰の神様、広虫姫は子育ての神様とされる。
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反対側のカリンの木の北側に針の碑。
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末社群が建ち並ぶ境内北側のある喜多門から出る。
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最後に御朱印。
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イノシシだらけの護王神社でした。
(亥年のお正月は大賑わいなんだろうなぁ〜)


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