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場所 滋賀県蒲生郡日野町 最寄駅の日野駅へは彦根から近江鉄道に乗ってゴトゴト揺られること約1時間。 日野駅脇の観光案内所で情報収集。 この日はJR東海のさわやかウォーキング開催日でしたので、駅前は賑やかでした。 JR西日本ではなく、JR東海が随分遠くで開催するのですね。 てくてく歩いて行きました。 途中の鈴休神社。 天智天皇がひと休みした所だそうです。 少し進んで摂取院。 「蒲生左衛門大夫高郷墓」の碑が建つ。 蒲生氏郷の曽祖父である高郷の隠居後の居館があった所と云う。 山門。 山門脇の鐘楼の建つ所は土塁跡。 境外から見る。 本堂。 中に高郷の木像があるらしい。 蒲生高郷の墓。 戻って先へ進む。 御代参街道(いせみち)と交錯。 ここからしばらく御代参街道(いせみち)。 説明板。 八幡神社前を通過。 ここでお別れ。 約10分歩いて、国道307号線に到達。 口之宮神社が鎮座している広場は「雲雀野」と呼ばれる。 説明板。 神社の裏に蒲生氏郷が立つ。 近づいてみる。 【蒲生氏郷公】 蒲生氏郷公は、弘治2年(1556)日野中野城で賢秀の子として生れる。 幼名鶴千代。 織田信長に従い、元服して忠三郎賦秀と改め、信長の娘冬姫を妻とする。 信長が本能寺の変にたおれた後豊臣秀吉に従い、名を氏郷と改め、天正12年(1584)戦功によって伊勢松ヶ島12万石に移される。 松阪に新城を築いて移った氏郷の徳を慕い、多くの日野商人が松阪に移住した。 天正18年(1590)小田原陣後、秀吉は氏郷を奥州の押えとして、会津若松92万石に封ずる。 文禄元年(1592)名護屋陣へ向かう途、氏郷は中仙道武佐の辺より郷里日野を望み 思ひきや 人のゆくへぞ 定めなき わがふる里を よそに見んとは の歌を詠む。 この像はそのときの姿を写したものである。 文禄4年(1595)病に倒れ、40才にて京で没する。 蒲生氏郷ゆかりの地。
ここからようやく日野の街へ入る。 駅から約30分。 かし上げ辻。 説明板。 街の中心にある平和堂。 交差点の角にある曳山モニュメント。 毎年5月2日、3日に行われる日野祭。 16基の曳山が練り歩く。 さらに進む。 札の辻。 説明板。 札の辻を曲がると近江日野商人館へ行けるが、そのまま真っ直ぐ進む。 大聖寺の脇に鎮座する出世稲荷神社。 蒲生定秀が日野中野城築城の際、狐狸の魂を慰めるためにこの地に祀ったと云う。 曳山の屋台蔵。 街の各所にある。 さらに進む。 駅からかなり離れているのに人家が絶えない。 かつての繁栄が偲ばれます。 鍵形の食い違い。 城下町の防衛上で作られた。 ここは越川(えちがわ)町。 近在から移住させられた人々の出身地が町名に。 ここを曲がると鍛治町。 蒲生定秀が鍛冶師をここに住まわせたことに由来。 後に日野鉄砲の産地に。 町の南の山は玉受山。 あの山に向かって鉄砲を試射したことから命名。 鞍子の辻。 この付近には馬の鞍を作る職人が居住していたと云う。 越川町の辻に戻り先へ進む。 日野まちかど感応館。 観光案内所となっている。 元々は正野薬店。 日野の伝統産業の一つとなっているとか。 ここから先は新町の町並み。 近江商人の出店一覧表が長々と。 桟敷窓。 日野祭を見学するために塀の一部をくり抜いて窓をつけた家があちこちに見られる。 新町曳山は開いていて見学可だった。 日野の街は高台に位置する。 街はまだまだ続きますが、さわやかウォーキングの折り返し点でもある馬見岡綿向神社へ向かいます。 |
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